(社会)科学方法論 4

ここで漸くマルクスの『資本論』に戻ることができるが、そこでは「商品」から出発される。マルクス自身はそれを、生物学者が顕微鏡で観察する細胞組織に喩えているが、ニュートン物理学を科学性の規範とし、「観念」、「印象」などの抽象的に還元された要素から主発するロックやヒュームとどこが違うのだろうか。

そういうことによって、私は別にマルクスを非難しているわけではなく、逆に、妥当な方法は恐らくそれしかない、といいたいのである。『経済学批判』で「上向」、「下向」として経済学、より広くいえば社会科学の方法論がごく簡潔に語られていたが、マルクスの考え方は、漠然と社会一般の総体的な表象から出発するとしたら、社会は複雑、多様であり、混沌としている、というような結論にしかならず、学問的、科学的な認識、具体的ではっきりとした、規定(限定)をもった認識は出てこないのだということだが、それはその通りだと思う。

そういう理由で、マルクスは社会そのもの、社会総体から始めるのではなく、一見抽象的で簡単、単純な「商品」の分析というミクロ的なレヴェルから開始したのである。「商品」の解析から価値形態論、価値法則、人間労働、人間労働の二重性などを見出していき、さらに、『資本論』第一巻の後半、第二巻、第三巻で、資本制的な経済社会一般の総体的な論理を構成し叙述していったのである。私は、可能で妥当な方法論的手続きはそれしかない、と思う。

ただ、マルクス主義とは別箇に、オーギュスト・コント、エミール・デュルケム、ガブリエル・タルドマックス・ウェーバー、ゲオルグジンメルなどの社会学的な思索や分析もあり、20世紀にはマクルーハン、リースマンその他として多様に展開されているから、社会認識、社会の考察を深めるには、マルクス主義以外の社会学的な思考、もろもろの社会思想もそれなりに参照しなければならない、というのは、当たり前のことである。