(社会)科学方法論

漠然と「人文(学)」と呼ばれる領域があり、人間性への批評・洞察が語られたり、歴史の事実が記録されたりしている。ところで、人間、心理、社会についての一定の知の構築を目指す人間諸科学、社会科学、社会学、心理学などはそれとは別である。人間本性=人間的自然(human nature)を単に考察するだけでは、客観的な知、科学ないし学問にはならないのである。

ガリレオニュートンなどの物理学の方法、数学的自然(科)学と同じ方法を、人間、心理、社会などの分析に直ちに持ち込むことができないのは明らかである。「社会科学の女王」と呼ばれた経済学、特に近代経済学新古典派)は別かもしれず、そこにおいては一般均衡の理論モデルが数学的に構築された。それが「女王」といわれたのは数学化が或る程度までは可能だったからで、政治学社会学などと大きく異なる所以である。

それはそうと、物理学の方法をいきなり自然以外の対象の認識に持ち込むことはできないといっても、ロック、ヒュームなどのイギリス経験論が理想とした科学性はニュートン物理学であった。彼らは「心」の領域でニュートン的方法を貫徹しようとしたが、その結果は、精神をばらばらの要素、「観念」や「印象」の束に還元してしまう、ということであった。ロック、ヒュームからは、内観を方法とし、原子論的で要素還元的な連合(連想)心理学が出てくるが、それが後に幾つかの理由で非科学的であると看做され批判されたのは当たり前である。フェヒナーの感覚物理学は、現在からみて妥当なのかどうかは分からないが、感覚の度合い、強度を実験的に劃定しようとした。