読書, to read, to read and to read!

川喜田喜美子・高山龍三編著『川喜田二郎の仕事と自画像:野外科学・KJ法・移動大学』(ミネルヴァ書房)。KJ法は常に上手くいくものではなく、フィールドワークの纏めなど一定の条件において成功し得るものである。

丸山眞男集:第1巻(1936-1940年)』(岩波書店)。うっかり借りてきたが、彼の代表作が入っていない。しまった。

レーニン唯物論と経験批判論(上巻)』(佐野文夫訳、岩波文庫)。マッハ主義批判以前に、バークリの『人知原理論』の唯心論にまで遡っていることが重要である。マッハそのものは、恐らく彼の物理学や力学、科学者・科学史家としての側面が大きく、単に認識論の問題、外界があるかどうかとか、「物」があるかどうかという問題として片付けることはできない。バークリとバークリを論駁する『純粋理性批判』の「観念論論駁」におけるカントの対決の参照は、哲学史・思想史の観点からみて、非常に重要である。カントは別に唯物論者などではなく、バークリを「主観的観念論」として斥けただけである。彼にとって、空間及び時間は「理念的」、観念的な条件としてあった。経験にだけ内在するときにバークリを否定するのは、実は難しい。『人知原理論』そのものというよりも、実は彼が僧正として神の存在を肯定する立場であり、個々の人間の知覚経験ではなく、「神が万物を観ている」、という考え方から世界の実在性を回復したということが大事である。

思想史において、唯心論、観念論は無数にあった。問題はそれをどう取り扱うかということである。サミュエル・ジョンソンだっただろうか、バークリ僧正と一緒に散歩していてバークリの意見を聞かされたから、いきなりそのバークリを殴りつけて「現実」を思い知らせたそうだが、粗野なやり口である。理屈には理屈、言論には言論で反論しなければならない。パルメニデス及び弟子のゼノンの運動否定論に、犬のディオゲネスは彼らの目の前で実際に歩き回って見せることで「反証」した。ところが、名前は忘れたが、別の或る哲学者は、そういう流儀に怒って、ディオゲネス本人だったかどうか失念したが、そういうことをやった若い人を散々に打ちのめしたそうである。

思想史の大多数は、観念論、唯心論であり、例えばプラトンがそうである。レーニン主義者は、バークリのようなマイナーな思想家を論駁するのではなく、プラトンやカント、近現代ではフッサールを論駁すべきである。実際、バークリのただ単に主観的な観念論、「物」などない、全部知覚に還元される、というような単純な発想を斥けるのは、それほど難しいことではない。それに論証できなくても、「物」がある、と想定することはいつでも可能である。我々に感覚や知覚があるのは明らかだが、その原因を考察すれば、直接経験に与えられないのだとしても、何らかの「物」とか対象があるのではないか、という結論に到達するはずである。ところが、カントの『純粋理性批判』を論駁して唯物論、或いはレーニン自身の「反映論」、伝統的な言い方では「模写説」という認識論的立場を支持することは非常に難しく、そこに三木清から廣松渉に至る全員が躓いたのである。その問題は解決不可能である可能性も非常に高い。

そういえばさっき図書館で、『思想』誌の最新号で、王寺賢太が執筆した書評(対象は『ディドロ唯物論』)を読んだ。ディドロにおける"Corps"(物体、身体、…「体」)という思想はきっと面白いのだろうが、ディドロのテキストの全部を全集としてまともに邦訳して読ませて欲しい、それまでは判断できない、というのが私の意見である。ディドロよりもルソーのほうが参照される機会が多いのは、別にルソーの思想が優越しているからではなく、ルソーは15巻以上の『全集』が訳されているからである。ディドロはフランス語で全集を読めばいいかもしれないが、そこまでできる語学力、経済力、時間的余裕などがある人々はそれほど多くないから、まともな訳による全集の刊行が待たれる。王寺賢太さんと田口卓臣さんは『運命論者ジャックとその主人』を訳したが、哲学的テキストではなく、小説である。

例えば、ディドロなど百科全書派は"sociabilite"を重視したそうで、市野川容孝の『社会』も言及しているが、市野川は「社会」という文脈で言及するのに対し、通常思想史においては「社交」、社交性と訳され理解される。ルソーは、そういう「社交性」よりも、自己保存及び憐憫を重視したのだ、というわけである。

"sociabilite"(社交性)と"pitie"(憐憫、憐れみ)のいずれが優越するかは一概にはいえないが、その微妙な相違にディドロとルソーの人間観の決定的な違いが表現されているはずである。

体調が著しく悪いが放置するよりほかなく、そして放っておくしかないのは別に体調だけではなくありとあらゆる悪い状況である。ホロヴィッツの最初のスクリャービン集を聴く。

黒田寛一について一言論評しておけば、彼は運が良かったということである。黒田は重い病いで、歯科医を経営していた親は、息子が死ぬと考えて、『マルクスヘーゲル』を出版したが、その後の歴史にとってはむしろ不幸なことだっただろうが、彼は生き延びた。そして、革マル派を結成し、非常に長生きしてしまった。

私としては別に○○派などを結成できないし、またするつもりもなく、他人の意見を軽々しく信じ易い人々を何人集めてみたところで仕方がないのだ、と思う。

教祖として振る舞った思想家は黒田寛一が最初ではなく、古代にまで遡れば、ピュタゴラスがそうである。ピュタゴラスは非常に神秘思想の色合いが濃厚な哲学の教団を創ったが、そもそも「哲学(philosophy)」という用語を使い始めたのは彼だったといわれている。"philosophy"という言葉の成り立ちそのものが、単純に「知」を意味しておらず、「知を愛し求める」という屈折があり、ギリシャ以来のヨーロッパ思想独特である。

タレスなど初期の思想家は単純に「賢者(ソフォス)」と呼ばれていた。物事の真実なり本質をよく知っている人、というくらいの意味である。ピュタゴラスが「哲学者」、知を愛し求める者という用語を導入し、そしてその言葉に自覚的な意味が与えられたのはソクラテス及びその弟子のプラトンにおいてである。

典型的な「哲学(philosophy)」はプラトン主義であり、基本的な要素が出揃っている。主体と知との屈折した複雑な関係(プラトンの考え方では、原初の真理から、「忘却」の時があり、その後真理、即ちイデアを過去的なものとして「想起」しなければならない)をまず挙げるべきで、それは「媒介」されたというべきだろうが、後の哲学体系の全てにそういう多層性がある。

愛と憎しみ、友愛と愛情(恋愛)などの主題もプラトンの対話篇には完備している。四大元素の離合集散の原因としてエンペドクレスは「愛と憎しみ」を考え、それは20世紀のフロイトによって「生の欲動(エロス)」と「死の欲動タナトス)」として変奏されるが、エンペドクレスそのままではないが、プラトンにもそのような奇妙に人間的な、或いは感情的な原理が持ち込まれている。

「友愛」は対等な者同士、同等の者同士の関係であり、アテナイの民主制において可能にされたもので、ありとあらゆる哲学的思考の社会的基盤である。この主題は遥か後にドゥルーズデリダなどによって受け継がれ展開される。奴隷制度があったとはいえ、自由市民連中は「対等」な存在だったという意味での平等があったわけだが、そういう間柄においてしかプラトン的「対話」は成り立たず、故に哲学もないのである。

愛、愛情、恋愛の主題は、『パイドロス』において全面的に展開されるが、プラトンの発想は、我々はまず、美しいと感じられる感覚的な個々の事物なり存在を愛するが、やがて「美のイデア」にまで上昇するのだ、というものである。

プラトンから17世紀のスピノザを経て現代のネグリに至るまで、「愛」の思想家なら腐るほどいるが、「憎しみ」の思想家は誰一人としていない。恐らく、右翼的な思想と行動(「蹶起」)の根源には憎悪と絶望があるが、それは端的な行動によって表現され、少しも思想ではない。

20年以上前に考察したことがあるが、「蹶起」という言葉の成り立ちは非常に面白いものである。通常平易な漢字では「決起」と表記されるが、「蹶起」の「蹶」の字には、躓く、転ぶといった意味が含まれているのである。即ち、それは予め失敗や頓挫という結末を承知したうえでの過激な行動化という内容が含意されているのであり、十代の私は、それこそアクティング・アウトの本質であると考えた。

そういうことを十全な表現にまで齎しているのは、私の知る限り、大江健三郎の『懐かしい年への手紙』の最後の場面だけである。そこにおいて、「ギー兄さん」は末期の癌に蝕まれている。地域開発の問題で彼は地域住民と揉め、自分は明日、湖のダムを自ら爆破する、そして有害物質が含まれた真っ黒い水の奔流として、憎悪の真っ直ぐな線として、君達のところを訪れるのだ、と不吉な予言をする。そうすると、そういうことを告げられた地域の人々は、「ギー兄さん」を殺害してしまう。彼の死体は、彼が爆破しようとしていた湖に浮かんでいるのを発見される。

大江健三郎の筆致が、様々な感情的な暗示を描き出していることに注目すべきである。例えば、「ギー兄さん」は前立腺癌の手術を受け、生殖器を含めて全部切除されてしまっただけではなく、人工肛門になっているが、彼を訪問した地域住民達は、その人工肛門の装置から糞便の臭気が漏れていると嘲弄し、彼を怒らせてしまう。そこで、テロ予告となり、結果、殺害されるわけである。

私の思想史のブログ投稿は、難し過ぎるし長過ぎる、という彼氏からの意見で、それへの私の返事は、図書館で中島義道の『人生は生きるに値しない』とかいう本を見掛けたが、だったらお前から死ね、と思ったから借りなかった、というものである。

それはそうと、プラトン主義において、自然とか宇宙を構成する原理として「愛」と「憎しみ」があったかどうか記憶を確かめていたが、思い付いたのは、イデアの逃走、「観念奔逸」である。例えば、或る事物が「大きい」とすると、その事物は「大」のイデア、「絶対的な『大』そのもの」を分有することによって「大きい」のだが、より大きい事物をそばに持ってくるとその事物は「小さい」ことになるが、そういう事態を、「大」のイデアがその事物から逃げ出した、遁走した、と把握し表現したわけである。