補足

世界史を吟味すれば、古代世界において、ローマ帝国フン族などの蛮族の侵入に悩まされ、中国の帝国は夷狄と緊張関係にあった。ドゥルーズ=ガタリのいう純粋な「戦争機械」とか「遊牧民」などを具体的に歴史のなかに探せば、そういうものしかないが、近代以降の我々のなかにそれらに少しでも似た要素、共通した何かが存在するだろうか。「アルカイダ」がそうだろうか。マルチチュードアルカイダだといって喜んでいるジジェクのような知識人も大量にいるが、日本の批評家連中も含めて、アルカイダの軍事行動が「戦争機械」・「遊牧民」、マルチチュードだなどという安易な発想は必ず歴史の現実からしっぺ返しを喰らうに決まっている。そのことだけを申し添えておきたい。

チンギス・ハーンなどの草原の遊牧民が外部から中国の帝国を攻撃し続けていたとしても、その帝国が崩壊し、自ら権力を掌握して統治を始めたならば、例えば「元」を創ったならば、それ自体が既に国家、『千のプラトー』の言い方では「国家装置」になる。イスラームの戦士(ムシャヒディン)も、最初から現在のようにアメリカ国家(とそれに親和的な国家)を外部から攻撃していたわけではなく、かつてはタリバーン政権としてアフガニスタンで権力を握っていた。ソ連が存在し、ソ連に抵抗していた間は、彼らは「自由の戦士」として称賛されていたのである。ところが、ソ連崩壊後彼らには利用価値がなくなり、敬虔なイスラーム教徒の側にとってもアメリカのプレゼンスが傲慢だし許せないと思われるようになり、関係が悪化してしまった。それがゼロ年代以降我々がよく熟知している世界史の現状である。

「元」は「元寇」として、当時の日本(鎌倉幕府)に二度も来襲してきたが、「戦争機械」がいいというなら、そういうことをする「戦争機械」はどうなのだろうか。「元」は彼らが征服・侵略した朝鮮の人々を従えて九州に攻めてきたが、最終的に天変地異・天災(当時の日本人にはそれが「神風」にみえた)のせいで敗退したけれども、その軍事攻撃は苛酷であり、戦争捕虜にされた九州の人々の扱いも非常に酷かったということが歴史記録に遺されている。

そして、鎌倉幕府が崩壊した理由は幾つかあるが、その主要な一つは、「元」からの攻撃に備えて九州を防衛するための経済的・人的負担が過重であったということである。そうすると、「元」の攻撃は直接鎌倉幕府を滅ぼすことはなかったが、間接的にはその滅亡を結果した、ということになる。

日本は島国であり、外国から攻め込まれた歴史的経験は数多くはないが、数回はある。そのうちの最大のものが鎌倉時代の「元」の来襲である。次いで、江戸時代末期のアメリカのペリーの黒船、それから、第二次世界大戦末期に不可侵条約を一方的に破棄したソ連が攻めてきたということ、さらに、アメリカによる軍事占領である。その僅か数度の経験が日本人の心理的トラウマになっている。冷戦時代、平和主義とか非武装中立に反対する保守派のロジックは、「ソ連が攻めてくるかもしれない」というものだったが、実際にはソ連は攻めてはこなかった(日本を攻める前に崩壊してしまった)。だが、そういうふうに空想的な恐怖を抱いた人々が、1945年の経験からそう思うようになったのではないか、と推測してみることもできる。現在、中国が攻めてくるなどと妄想する右翼・保守派が多いのと同じだが、確かに歴史においてただ一度だけは中国(「元」)が軍事的に日本に攻め込んできたことがあったわけである。

日本側が外国、特に朝鮮を攻めた歴史も挙げなければ公平ではないが、まず、天武天皇白村江の戦い、次いで、豊臣秀吉文禄・慶長の役、そして近代日本(大日本帝国)による中国、朝鮮、アジア諸国への侵略である。Wikipediaをどこまで信用していいか分からないが、そもそも織田信長が当時の中国、「明」に出兵したい意向だったそうだが、もしそれが史実だとすると、信長も秀吉も誇大妄想的であり、鎖国を決断した徳川家康の慎重さに比べれば、権力基盤の崩壊は当然だったというしかない。秀吉による侵略は、現在もなお朝鮮人から怨まれているそうである。