補足

さて、補足だが、トロツキーの思想と実践において問題なのは、ロシア革命永久革命(永続革命)論というよりも、赤軍の創設である。戦後の日本の歴史的・社会的現実でも、日本国憲法が制定される際、9条の戦争放棄に反対で、人民軍を創るべきだと主張した左翼・共産主義者達がいた。彼らは当時の原則からみて、別に間違っていたわけではない。だが、2012年の現在からみれば、赤軍や人民軍を創るのではなく9条を選択していて良かった、とはごく常識的にそう思う。現在、元赤軍塩見孝也重信房子が9条改憲阻止を主張しているのは歴史の皮肉だが、妥当な態度変更だと思う。

赤軍派のことを考えれば、彼らの軍事主義(「赤軍」派という名称そのもの)及び世界同時革命という発想はトロツキーに由来している。憲法、特に9条に反対した左翼がかつていたというだけではなく、1960年代以降自ら武装し「軍」、革命軍たろうとした人々が、赤軍派に限らずいたが、どうみてもうまくいかなかったということである。

そしてそれは、暴力は良くないとか、「革命的暴力」ならいい、とかいうスコラ的などうでもいい道徳的談義ではなく、現実の力関係に根拠があった。2012年の現在に至るまで、戦後の日本において武装した人民とか自称・革命軍が体制を顛覆し、権力を掌握することはできなかったのである。そして今後も少なくとも当面はどうしてもできないであろう。

それがどうしてなのかといえば、最大の理由は、武装蜂起しようとか、暴力革命を目指すとか、赤軍、人民軍、革命軍を結成し軍事行動を実行する、という人々が幸いにも少数であったことである。1960-1970年代には、軍人、革命家、テロリストに限らず、どうすれば都市や国家を軍事的に(ゲリラ的に)制圧できるかを技術的に考察し、時には実践しようとした人々がいたが、そういう軍事行動、蜂起、蹶起がうまくいくためにはシビアな条件をクリアしなければならなかったであろう。例えば、武器・弾薬や資金の援助はどこの誰がしてくれるのだろうか。だから、そういうゲリラ的な蜂起や戦闘を背後から支援してくれる別の国家がなければ、そういう軍事行動が成功する確率は低かったし、21世紀の現在も条件は同一であるといえる。

もう一度整理すれば、武装して闘争しようとする人々がもし少数であれば、彼らの行動が成功するためにはほとんど僥倖といっていいくらいの条件をクリアする必要がある。人民の大多数が武装して政府に抵抗するなら話は別だが、その場合、現在「アラブの春」の一部、例えばシリアがそうなっているような内戦状態に陥る可能性がある。そして悲惨な内戦の可能性を全く排除して実力で軍事的に立ち上がることは不可能である。

私は現代日本に分裂とか内戦の可能性があるといいたいわけではなく、むしろそんなものは全くないといいたいのだが、それは、武装蜂起とか暴力革命などが完全に不可能だし、そういう望みは棄てたほうがいい、という意味である。2012年の日本にあるのは、エコロジー運動、反貧困運動、脱原発運動、反改憲(護憲)運動だけであり、それは現存の資本制国民国家を根底から覆すようなものではないが、致し方がないことである。歴史の時間を敗戦の少し後、日本国憲法が制定される瞬間まで巻き戻してみれば、どこからどうみても、人民軍を創設するよりも、国家の交戦権を認めない9条を創るほうがよかったはずである。左翼の判断、現状認識、方針、戦略・戦術が常に必ず正しいというわけではないのである。