思想史メモ その3

(4)ただ問題は、その後の歴史の展開で、元々のインドにおいては仏教が消滅したことである。それは中国、日本などで受け継がれたが、釈迦の考え方とは違っていた可能性が大きい。中国人は輪廻転生というアイディアに、何度も何度も繰り返し生きることができるのは素晴らしい、と喜んだそうだが、それは仏陀のペシミズムとは真逆の発想である。

キリスト教にせよ、アラン・バディウが強調するように、それを教団として創設したのはイエス・キリストではなくパウロである。「キリスト者などただ一人しか存在しなかった。その人は十字架のうえで死んだ」というのがニーチェの絶叫である。つまり彼は、キリスト教を否定してもイエスは肯定したかったのである。後のロレンス、ドゥルーズ吉本隆明柄谷行人も同じだが、バディウはそれを顛倒してしまう。確かに歴史上にイエスしか存在しなかったら、制度としてのキリスト教が生まれることもなく、その後二千年間もヨーロッパ世界を支配することもなかったはずである。バディウと同様の顛倒は、マルクス自身よりもソ連を実現したレーニンを重視する現代の考え方においてある。