思想史メモ その2

(3)ヒンズー教を批判する仏教(釈迦=仏陀)、ユダヤ教を批判するキリスト教イエス・キリスト)、古代ギリシャアテナイ)の伝統的な社会を揺るがすソフィストソクラテス

釈迦(仏陀)が持ち込むラディカリズムは、伝統的なヒンズー教が想定するカースト制度身分制度、身分の差別に基づく社会秩序への批判であり、根底的な「平等」を持ち込むものである。イエスユダヤ教の律法学者への批判は、「法」、掟の形式だけにこだわり、内的な信仰や愛が喪われている、というものである。ソクラテスはともかく、プロタゴラスゴルギアスなどのソフィストが当時のギリシャ社会に持ち込んだのは、徹底的な人間原理人間主義(「人間こそ万物の尺度である」)であり、相対主義・不可知論である(「真理は存在しない。存在するとしても知ることができない。知ることができても他人に伝達することはできない」)。それが当時の人々に本能的な不安を呼び起こしたのは当然である。

ソクラテス自身の自覚は、自分は「徳を教える」というソフィストでもなければ、「太陽はただの石である」といって宗教を掘り崩すアナクサゴラスでもなく、「汝自身を知れ」、「ソクラテスこそアテナイ一の知者である」などのデルフォイの神殿の神託の意味を解読しようと努めているだけだ、といっても、人々にはソクラテスソフィストソクラテスとアナクサゴラスを識別することができない。ソクラテスは裁判で、若者を堕落させ宗教を否定している、という理由で死刑を宣告される。それは誤解だというべきだろうが、この「誤解」は本質的なものである。