『吉本隆明全集撰3(政治思想)』(大和書房)を読む

「第二の疑問は、中野文を信用するならば、佐野、鍋山が、「日本思想史」や「仏教史」について何ほどの知識も見解もなくて、共産主義運動の指導者だったのか、といういくらかみじめなものとしてやってくる。『大乗起信論』(にかぎらず)ひとつ手にしたこともなかったのが大衆の前衛指導者だったか、こういう情けない疑問は、情けないにもかかわらず、佐野、鍋山が、わが後進インテリゲンチャ(例えば外国文学者)とおなじ水準で、西欧の政治思想や知識にとびつくにつれて、日本的小情況を侮り、モデルニスムスぶっている、田舎インテリにすぎなかったのではないか、という普遍的な疑問につながるものである。これらの上昇型インテリゲンチャの意識は、後進社会の特産である。佐野、鍋山の転向とは、この田舎インテリが、ギリギリのところまで封建制から追いつめられ、孤立したとき、侮りつくし、離脱したとしんじた日本的な小情況から、ふたたび足をすくわれたということに外ならなかったのではないか。日本の国体、国民思想、仏教思想に関する書籍の看読を願出たとか、『大乗起信論義記講義』をよんで、その深淵さに一驚した、などという件りをよむと、中野文の白々しさよりもさきに、みじめな日本のインテリゲンチャ意識が、こころにかかってくる。モダン文学者と共産党の指導者の巡庭は、いくばくぞや、ということになるのである。わたしは、声明書の内容からかんがえて、この佐野、鍋山の声明書にまつわる第二の疑問は、あるいは、日本における転向の一つの典型にまで、ひきのばしうるのではないかとかんがえる。」(p.14-15)

1959年2月刊行の『芸術的抵抗と挫折』に収録された『転向論』からの引用だが、20年以上前に読んだときから、『大乗起信論義記講義』など俺も読んでいないし、読む必要があるのか、と疑問であった。2012年の現在も読んでいないし、「日本思想史」はともかく「仏教史」が大事だと感じたことも一度もない。だが、世界の思想史を素描することを考えた。それは、ギリシャ・ローマからヨーロッパ・アメリカであれば、オルフェウス教からアントニオ・ネグリパオロ・ヴィルノジョルジョ・アガンベン。日本思想なら、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』から東浩紀宇野常寛まで。中国思想なら、『論語』や老子荘子は勿論それに先立つ古典から、現代に至るまで。インド思想なら、ヒンズー教・仏教。アラブ世界なら、イスラム教。そして西欧思想の一部だが、ギリシャ的なものと対立する考え方として、ユダヤ教キリスト教。というような構想である。そのなかには、「日本思想史」も「仏教史」も含まれる。

それはそうと、事実関係を確認しておく。『転向論』は、1958年12月1日『現代批評』(第一巻第一号)に収められた。吉本隆明が言及しているのは、昭和8年、佐野学、鍋山貞親が「共同被告同志に告ぐる書」を公表したという出来事である。それは『改造』誌昭和8年7月、p.191-199に掲載された。佐野、鍋山は、当時、日本共産党の最高指導者と目されていたそうである。

さて、吉本の批判は、日本の思想、現実、歴史に無知・無関心だったインテリ=共産党の指導者が、当時濃厚に後進国的な封建性を遺していた日本社会に敗北し、大衆からの孤立感に堪えられなくなって転向してしまった、というものである。そういう考え方の是非についてはいろいろとあるが、それはともかく、私自身の感想としては、仏教思想と共産主義運動に何か関係があるのか、ということで、獄中でそれを読み感激して転向したという書籍を読まないよりは読んでいたほうがよかったのだろうが、やはり政治や社会そのものとは関係がないのではないだろうか。

吉本隆明の考え方の重要性は、昭和初期、前期の日本社会の後進性、封建性を非常に重くみていることである。そして吉本自身の立ち位置は、近代主義モダニズム)とそれに抵抗し違和感を覚えるナショナリズムとの間で揺れ続けている。それは少なくとも1960年代一杯までそうである。例えば、1964年の『日本のナショナリズム』では、「「大衆」の原イメージは、けっしてマス・コミ下に登場しない、「マス」そのものをさす。」(p.154)とされているが、では、後年のサブカルチャー論は何だったのか、というようなことになる。吉本は「反核」批判において、頑なな近代主義者、無知蒙昧を否定する科学主義者として現れる。確かに、反核、反原発脱原発)がただの感情論や非科学的な蒙昧、脅迫・恫喝などであっていいはずがないが、しかしそれでも、スリーマイル、チェルノブイリ、福島などで事故が度々起きてきたということだけは事実である。

吉本の議論の枠組みは、大衆の動向、日本の現実を重視するというもので、もしそれがまだ後進国的、封建的なものであるなら、観念的にだけそういうものを清算して知的に上昇することはできない、そうしようとしても「田舎インテリ」のような滑稽な存在になってしまう、というわけである。私も確かにそういう状況はあると思うが、明治、大正、昭和初期から敗戦を経て半世紀以上経過し、日本社会も大きく変わった。日本社会の風土には浅田彰も指摘する幼児性などがまだ色濃く残存し、インターネット技術によって増幅されさえしているだろうが、しかしながら、条件は昭和8年と同じではない。思想や文化においてはともかく、経済的にみればその後日本は富裕な先進諸国の一員になったし、その意味で既に近代的、現代的である。そういう現時点の状況において、では、どう考えるべきなのか、ということを、1950年代の吉本隆明の批評文は問い掛けている。