ルソー『社会契約論』を読む

ホッブスの場合も契約によって国家が生まれると説くが、彼の発想は現実に存在する不平等をどうにかする、解消する手掛かりを与えてくれない。ルソーも実は多面的な思想家だが、或る意味簡略化して解釈すると、フランス革命の原動力になる、と思われたのであろう。

私が気になったのは「抽籤」についての意見で、ルソーは裁判官の職がそれに相応しいといっているが、裁判員制度そのものである。それがそんなに素晴らしいものだろうか。抽籤・籤引きについても、モンテスキュー、ルソー、プルードンなどと検討されてきた系譜がある。結論からいえば現代社会に、民主制だといって、抽籤を導入することはどこでもできないだろうと思う。

民主制の政治技術として普通挙げられるのは、選挙と抽籤であり、近代国家で実現されるのは選挙だけだが、そのことには恐らく理由がある。裁判官職について「市民なら誰だっていい、普通の判断力さえあればいい」、といっても、その普通の判断力とかが問題である。そして、選挙、代議制、間接民主主義を疑ったところにルソーの特色がある。

ルソーが抽籤を支持するのは、「民主政においては、行政の行為が簡単であればあるほど、行政はうまく行われるから」(p.152)ということが理由だが、現実にはルソー以降、行政機能は複雑化し肥大化する一方である。

「すべての真の民主政においては、行政官の職は利益ではなくして、重い負担であって、これをある個人にではなく他の個人に課するのは正当なことではありえない。ただ法だけが、クジにあたった人にこの負担を課することができる。」(ibid.) - 余りいいたくないが、現実の民主主義国家においては、行政官の職(政治家などであろうか)は利権の温床である。

投票について、ルソーは、「一般意志のあらゆる特長が、依然として、過半数の中に存している」(p.150)と述べているが、つまり彼は単純な投票否定論ではなかったということだが、選挙、投票、議会、代議制を疑っていることには変わりがない。

議会が問題なのは、それを通じて政治を行うと、人民総体の意志、「一般意志」が透明に実現されず、絶えず(本質的に)不透明になるからである。ルソーは、「徒党、個別的団体」に否定的だが、選挙を実行すると、必ず○○派と××派などの票集めの争いになり、人民の意志が直接透明に代表されず、複雑でややこしい力関係が関わってくる。

マルクスが『ブリュメール18日』で分析したような、誰が誰の利害を代表しているのかわけがわからず、代表者をもたない社会階層、例えば分割地農民は独裁者、ナポレオン三世などによって勝手に「代表」されてしまう、というような難点が代議制にはある。ルソーはそれを嫌ったということである。

代表(表象)システムはそもそも不透明なのだという言い方もできるが、そういう一般論にしてしまうと、その難点をどうにかする方法はないということになる。

二十世紀以降の経験として追加的に考察すべきは、(1)「革命」によってプロレタリアの利害なり意志を直接実現できるというマルクスレーニン主義者、(2)「唯-議会主義」では駄目だというローザ・ルクセンブルグ、(3)「議会を超える議会制」、「インターナショナルな議会制」を提唱する小森陽一や市野川容孝など、である。

私には「議会を超える議会制」とかいう「円い四角」のような物言いは理解できないが、彼らがそういう言い方を提出してきたのには彼らなりの危機意識があったわけである。

小森などのジレンマを想像してみると、いきなりレーニン主義的な革命を支持することはできないが、社会民主主義的な議会政治にも不満である、というようなことであろう。

それは分かるし、小森陽一、市野川容孝、守中高明などがネグリの非常に肯定的で直接的な意見に懐疑的なのも、批判的・良心的な知識人という自覚からすれば当たり前のことだろうが、そうなのだとしても、「議会を超える議会制」というだけでは(具体案がないので)どうしても抽象論になってしまう。

デモに直接民主主義の実現を見るというのが柄谷行人の最近の意見で、尤もな意見だが、現実のデモと統治権力の関係は微妙である。

歴史的経験を検討すると、安保闘争イラン革命、9.11直後の報復戦争反対、2003年のイラク戦争反対などにおいてデモなど街頭表現と現実の権力の関係がどうだったのかという話になる。安保闘争では岸信介が退陣し、イラン革命ではシャーが国外亡命し、2001年、2003年にはアメリカに抗議する世界の声もアメリカの武力攻撃を抑止することはできなかった。

安保闘争では樺美智子さんが亡くなっているし、イラン革命では大量の市民が犠牲になったはずである。2001年、2003年に死者が出たかどうかは知らないが、弾圧された人々なら沢山いたはずである。

今日の昼間中核派に宛てて書いたが、ゼロ年代以降現状に不満な人々の過激な意見が増えているのは、非暴力で抗議しても権力を変えることはできないという断念が背景にある。

その気持ちは分かるが、少数の市民が武装したからといってどうなるのだろうか。勿論大多数の市民が武装して政府に抵抗するなら話は別である。そういう条件があるのだろうか。私はないと思う。

そろそろ食事に行くが、以上がとりあえず現在の私の考え方である。ちなみに、主観的に私がデモが苦痛だということと、デモに客観的な政治的意義、効果があることは別である。

ちょっといえば、坂本龍一=オジサンだけどかっこいい、というのは私もそう思う。坂本龍一はディープエコでもかっこいいし、YMOは全員かっこいい気がする。細野晴臣の"Hosonova"はとても良かった。

寝る前に整理しておくと、まず、プルードンは抽籤に反対だったが、選挙に肯定的だったわけでもなく、個々人が具体的・現実的な「契約」を通じて「連合(アソシアシオン)」を形成すべきだというのが彼の考え方で、そういうプルードン主義は、プルードンが批判しているルソーの社会思想同様、小国、小集団には適しているが、或る程度以上の規模の国には向かない。

ただ、ルネ・シェレールが『歓待のユートピア』で書いていたが、プルードンは19世紀フランスにおいて、彼自身の「連合主義」を主張したらしい。当時、イタリアを巡る政治的問題があったらしく、プルードンが「連合主義」を主張したというのは、分権的な考え方ということになるが、それは、当時のフランス人のナショナリズムを刺激してしまったらしい。そしてそこにプルードンシェレールなど現代の著者から注目される理由・契機もあるわけである。

それから、柄谷行人などの「代表(表象)システム」を批判するという「現代思想」についてコメントすれば、representationという英語・フランス語などには(ドイツ語で何というのか忘れた)、「表象」のほか、「代表」、そして、「再び現在化させるということ」、「再び現前させるということ」などの意味がある。そして、そういう「表象(代表)」を一般論として否定できるかどうかは難しい。例えば、フーコーの『言葉と物』では、私の記憶が正しければ、「表象」は、知の配置(彼がいう「エピステーメー」)における一定の時代の枠組みだったはずである。そして、近代においては、「生命・労働・言語」によって規定される「人間」の力能が、「表象」をはみ出てしまった、超過してしまった、という議論のはずである。さらに、彼は、そういう「人間」の消滅とともに、「生命・労働・言語」以降のあり方を模索したはずだが、はっきりいって抽象論の域を出なかった。彼は『言葉と物』を純粋な思想史の専門書として書いたが、にも関わらず、世界中で爆発的に売れ・読まれてしまい、誰でも彼でも「人間の死」、「人間の消滅」などと口にするようになったが、それは彼の意図したところではなく、そういう消費社会、大衆社会の現実を踏まえて彼は著述スタイルを変えた。その結果が『監獄の誕生』、『知への意志』に結実した権力論である。

ただ、ドゥルーズの『差異と反復』における「表象=再現在化(representation)」批判は、アリストテレスからライプニッツヘーゲルまでというものだから、古典主義時代など特定の時代のエピステーメーとかいうことではない一般論である。が、そういうドゥルーズの議論は、フーコーの思想史的著述以上に現実政治(「代表」制の問題)に接続することが不可能なものである。

私自身は、20世紀終わりから「ルプレザンタシオン」というフランス語が大流行し、「表象文化論」など新しい学問分野も生まれたが、そもそも20世紀の哲学者は「表象」に批判的だったのではないのか(「ルプレザシオン」とか言いまくって盛り上がるような話ではないだろう)、と疑問だった。それはどうみてもただのファッションであり、知や認識の枠組みの変遷とか、政治的な代表制の問題などとは無関係である。

以前商品と言語を同じ「価値」という言葉で同一視できないと指摘したが、同様に、「表象」という認識論の問題をすぐに、間接民主主義、議会、選挙、代議制における「代表」システムと短絡できるのかどうかは疑問である。

「表象=再現在化(代表)」、representationへの批判が昔大流行したが、当時の私の感想は、観念(idea)、概念(concept)、イメージ(image)、イデオロギーなどといえば分かり易かったのに、というもので、事実多くの論者は「表象批判」を「イメージ批判」と言い換えていた。そして「イメージ批判」は、「想像力(imagination)」そのものの批判として展開されるケースが多く、頻繁にスピノザが参照され、想像力そのものが錯覚、誤謬に繋がるといわれたものだが、デカルトスピノザにおけるimaginatioは独特の位置づけだし、imaginatioin一般を非難してみても致し方が無いと思った。想像力を全部否定する論者は、知性による認識、概念認識、抽象的な法則の認識だけがいいのだというが、人間はそういうふうに認識マシーンのようにできていない。或る対象を純粋に概念的、法則的に認識、「知解」ばかりできるわけではなく、妥当であろうとなかろうと、一定の感性的な質や特性・特徴を伴う具体的なものとしてイメージするのが通例である。表象批判論者の意見に耳を傾けると、我々はまだ17世紀ヨーロッパに生きているのか、と錯覚しそうになる。

represent (representer), representationへの批判は、"re"(再び)という接頭辞などが問題にされたりする。「表象、代表」に当たるドイツ語は、確か、「前に-立てること」とかいう単語構成になっていたはずで、やはり前に-立てるということの性格がハイデガーハイデガーに影響された哲学者連中に批判されていたように思う。「ルサンチマン」が批判されるのも同じ論理で、「ル」という反復・捉え直しが問題にされる。ただの感覚や感情ではなく、それを執拗に反復・反芻するのが悪意であり怨念なのだ、といわれるのである。同様にrepresentationも、ただのpresentation(呈示、現前化、現在化)という直接的な契機とは異なるものとして把握され、批判される。

そうすると、人間が思い浮かべる何かだということは確かでも、representationはidea, concept, imageなどとは少し違う複雑な構成と内容を持っているようだということが窺える。そこには"re"という反復、「再」の要素があり、また、"(re-)presentation"という時間的な規定も含まれている。「再び-現在化させる、現前させる」という思考の運動が問題なわけである。

それから代表(representation)、代表する(represent, representer)というケースはまた別箇に考えなければ成らない。それは、選挙、特に普通選挙、議会などの具体的な社会制度と不可分であり、抽象的にだけ捉えることはできない。選挙、議会、代議制、間接民主主義などと共に、社会のそれそれの階層のどういう具体的利害が、誰によってどのように代表され表現されるのかという不透明性、複雑性、誤解・錯覚のレヴェルが生じると思うが、具体的にどう不透明なのかは場合ごとに丁寧に分析すべきである。例えばマルクスが分析したナポレオン三世のケースと現代の我々の自民党公明党民主党社民党共産党などのケースは異なるであろう。同様にアメリカの事情、ヨーロッパの事情、それ以外の地域の事情も別箇であるはずである。我々の近年の経験で分析すべきは、2000年前後の小泉純一郎の圧倒的な勝利と覇権である。彼は「郵政民営化」というそのものとしてはそれほど大きい問題だとは思われないテーマを執拗に主張し続けて有権者大衆の熱狂的な支持を集めたのだが、どうしてあのような小泉政治が生まれたのだろうか。それ以後としては、政権交代時の民主党の大勝がどういう理由・根拠で生じたのか、その後民主党政権の政策運営がどのように有権者に幻滅・失望・落胆を与えているのか、現在の小沢一郎及び小沢グループの動向、効果、見通しはどうなのかということも重要である。

それから漠然と選挙一般ではなく、小選挙区制などというような具体的な制度、システムが問題である。同じ選挙といっても、小選挙区制と大選挙区制、中選挙区制比例代表制は全く異なるし、どういう条件でどういう政党のどういう政治家が有利になり当選するのかは違ってくるわけである。現在の日本の小選挙区制は、かつて(90年代に?)小沢一郎が当時の社会党を潰すために導入したものだといわれているが、それはそうなのかもしれない。そしてそのことによって(それから特に自由党民主党の合併、「民自合併」によって現在の民主党が生まれたことで)、日本版二大政党制が確立し、政権交代が可能になり、現実に政権が自民党から民主党に移ったのだが、既にアメリカの二大政党制がそうだが、そういう大雑把な二大政党制が代表「しない」社会的利害が沢山あるのは当然である。我々が漠然と共和党よりは民主党のほうがいいだろうとか(アメリカの場合)、自民党よりは民主党のほうがましだとか(日本の場合)思うとしても、そういう期待は往々にして裏切られる。

かつての55年体制は、自民党の強固な支配、堅固な権力基盤があり、批判勢力として社会党があったが、その社会党は事実上自民党政治を補完する存在でしかなく、「永遠の反対派」であったというだけである。自民党政権が崩壊し、自民党が下野し、新たな政治の枠組みが模索されたが、それ以降、我々にとっては失望させるような結果しか出てきていない。まず、細川内閣が成立したが、細川首相は少数党(日本新党)の人で、蔭で暗躍する小沢一郎のサポートなしには権力を維持できず、国民福祉税構想で頓挫し権力を喪った。それ以降をみても、自民党に代替するしっかりとした権力が一つも出てきていないのは明らかである。自民党政権にしてもかつてと同じではないし、小泉政権にしても、「自民党をぶっ壊す」というような挑発や欺瞞によって大衆を騙すことによってのみその高い人気を維持できたのである。実際問題としては、小泉純一郎自民党を破壊、解体したのではなく、むしろゼロ年代以降のその存続を確かなものにしただけなのではないのか、と疑うことはできるが、当時の有権者の多くが「ぶっ壊す」というパフォーマンスに心惹かれたのだというのは歴史的な事実である。

消費税の税率が5%から10%に上げられることくらい大したことではないのではないのか、と思う人もいるかもしれないが、歴史的にみれば、間接税の導入はどの政権でも重要なテーマであり続け、しかも最終的に消費税が導入されるまで挫折し続けてきたし、しかも、増税政策の国民大衆の反対による挫折は政権そのものの崩壊を招いてきた、といえる。売上税構想は中曽根内閣か竹下内閣のときだったと思うが、広汎な反対運動が起き実現できなかった。細川首相が深夜に突然記者会見を開いてぶち上げた国民福祉税構想もうまくいかず、彼はそのせいで退陣せざるを得なかった。

徴税システムの変更は、社会のどの階層から金銭を奪って社会が存続するのかということだから、注目されるしそこで闘争が生じるのは当たり前である。かつて日本の社会制度は「社会主義的」だというような批判があったが、要するに所得税率が高過ぎて、頑張って金持ちになろうというモチベーションが湧かないから、所得税率を外国並みに引き下げるべきだ、という意見で、この場合持ち出される外国のケースというのはよくよく確かめたほうがいいようなものである。とにかく、直接税で所得が多ければ多いほど重い税負担があるシステムであれば、所得の再配分という社会的機能があったといえるが、間接税、消費税にして、何か商品を消費しさえすれば(そして商品を消費せずに生活を営むことは現代社会においては誰にも出来ない)課税される仕組みにすれば、貧乏人や下層の人々を含めてしっかり徴税されるということになる。

Facebookのニュースフィードで、自分は増税には反対ではない、という意見を読んだが、確かに日本の財政状況が厳しく、社会保障費を支払い制度を維持できないかもしれないというのは事実であろう。それには異存はないし、野田佳彦のいうことが一から十まで全部嘘、虚偽、欺瞞だというつもりはない。確かに野田のいうように財政は厳しいのだろうし、健全化しないよりはしたほうがいいのだろうし、その際に増税、国民の負担増もやむを得ないのかもしれない。そこまでは私も同意するが、それではどういう施策が一番ましなのだろうか、ということである。先日指摘した、富裕層への課税、株取引など金融取引への課税を優先し、それでも足りなければそれ以外(消費税など)に手を着けるという辻元清美の意見はそれなりに現実味があると私は思う。

野田佳彦財務省の犬、という罵倒は一般化しているし、財政状況、支出のバランスが著しく悪くても、それを「改善」したり健全化する必要はない、幾ら赤字が増えても放っておけばそれでいい、という左翼の意見もあるが、私からみれば、そういう考え方は、お金がなければ「刷ればいい」、という意見と大差ないような気がする。いずれも、貨幣とか財政など記号的なものでしかないから、幾らマイナスになろうと実体、現実には関係がなく、故に放置すればいいし、もし金銭が足りなければ中央銀行で印刷しさえすればそれでいい、経済はうまくいく、という単純極まりない考え方である。だが、それでいいのだろうか。一般に、貨幣、財政、金融などを含めた経済システムがただの記号的なものでしかないという見方を私は信用していない。そこには何らかの実体、実態、中身、内容、実質があるはずである。私は素朴にそう思う。

ギリシャ債務危機、財政危機に陥っても、EU, IMFなどの干渉を撥ね退けて平然としていればいい、というのが左翼の考え方でもある。財政が傾き赤字だらけだから、緊縮政策を、というような「道徳」など全部拒否していいし拒否すべきなのだ、というわけである。それはそうかもしれないが、そうすると、ギリシャEUを脱退せざるを得なくなるだろうし、脱退せざるを得なくなるのはギリシャだけではなくPIGSと呼ばれる経済状況が良くない国々もそうなるであろう。そして、国民国家を超えてヨーロッパという地域の纏まり、共同体を創りたいというEUの政治的理念は頓挫、崩壊し、やはり経済的に富裕な国々とそうではない国々の違いを乗り越えることはできなかったのだ、という結論に到達するであろう。勿論私はそういうことがいいことだ、とは全く思わない。

簡単にいえばそれは、経済法則の「鉄の必然性」の貫徹を人民の団結の力で跳ね除ければいい、というような発想である。それは人民とその意志、反撥、反権力などを深く信頼する考え方がだが、マルクスの『資本論』に拠ろうとそれ以外の経済学説に拠ろうと、もし経済法則なるものがあるのだとしたら、人民の力、意志、情熱などによって主意主義的に否定することができるようなものなのかどうかは非常に疑わしいと思う。

左翼は資本主義そのものを否定するから、その資本主義の「鬼子」のようなギリシャをこそ肯定するし称賛する、財政規律を、緊縮政策をという要請を民衆の運動が拒否することこそ素晴らしい、というわけであるが、確かに、かつての政権の落ち度(実は財政赤字が大きいことを国民に隠していた)の責任を現在のギリシャ国民が取らなければならないのは不条理だし、彼らの生活水準が下がったり、社会福祉が切り詰められたり、労働条件や公務員の待遇が下がったりするのは気の毒なことではあると私も思う。そういうことに人々が反撥するのは当たり前だと思うが、その元々の理由はどうあれ悪くなってしまった財政をどうするのか、EUに留まるのか脱退するのか、というのはやはり大きな問題であり争点である。

それから第三世界の「債務帳消し運動」があるが、私はそれは正しいと思っている。貧しい国々の債務、負債といっても、国際的な力関係、政治力学のなかで出てきたものだし、それがその国々にとって負担で民衆を苦しめるならば(現にそうなっているが)、そういう債務は帳消しにしてしまったほうがいいであろう。ただ、そのことと、ありとあらゆる経済、財政などが幻想で欺瞞だから、全部やめればいいとか、貨幣は「刷ればいい」、それで経済問題は全部解決する、とかいう意見が妥当なのかどうかは別である。簡単にいえば第三世界の問題といわゆる先進諸国の問題は分けて考えるべきである。

貨幣は「刷ればいい」、というのは、幻想を幻想によって糊塗するような発想である。私はそう思う。

シャワーを浴びる前に一言だけいえば、そういうところから、現在のリフレ派、インフレ・ターゲット論がどこまで妥当なのかという話にもなる。確かに物価低落による不況、デフレを経済政策で何とかすべきだし、そのことに政府や中央銀行は大きく関与すべきだろうが、金融政策、経済政策を弄るだけで、モノの生産とか労働という客観的で唯物的な状況は何ら変化していないのに、魔法のように経済が良くなる、景気が良くなる、というようなことであるはずがない、と思うのは私だけだろうか。

議会や政党政治への新自由主義者による批判が、ルソー主義に酷似している場合があるが、それは、個別的団体の否定においてである。新自由主義者は、共産党社民党だけではなく、民主党においてさえも、労働組合の影響力が強過ぎると非難する。つまり、特殊的、個別的な利害の代弁者でしかない、というわけだが、そういう「媒介」なしに一気に一般性を直接且つ透明に実現することは果たして可能なのだろうか。

新自由主義者はいきなり議会を否定するわけではなく、既存政党への批判という態度を取る。既成政党は全部、既得権益の代表者だというわけで、自民党は既に地位を固めた経営者連中の、民主党労働組合や公務員団体、教職員団体の利害を代表しているから正しくなく、「みんなの党」を創るという発想になるが、以前いったように、確か、「ファシズム」の語源はラテン語の"fascia"(ひも、結び)、"fasciola"(小結び、小束)、"fascio"(ひもで締める)であり、統一的なものだと想定される人民の意志を透明且つ直接的に代表・表象・表現・体現したい衝動・欲望こそが問題であり、近代においてはそのような発想の淵源はルソーの『社会契約論』にある。

一般意志、人民の意志といった発想の問題点は、一体誰が本当に人民の意志を体現しているのかがわからないということであり、「真理をそのものとして虚偽から区別する識別標識などない」と明言するスピノザと同様近代思想の一つの問題点、アポリアである。一般意志=常に必ず真理であり正義だとされるが、誰がそれを判断し確証できるのだろうか。ルソーの死から11年後のフランス大革命においてその懸念は現実のものとなり、人民の意志を代表しているのは○○派だ、いや××派だ、ジャコバン派だ、という争いになり、結局、全員ギロチンに送られてしまったのであった。

そういう条件は20世紀においても不変で、「プロレタリア独裁」を実行したボルシェヴィキが本当にロシアの人民(マルクス主義は人民一般と区別して「プロレタリアート」という)の利害を代表していたのかとか、イラン革命で最終的に権力を掌握したホメイニ師がイランの人民の意志を代表していたのかという話になる。全体主義ファシズム、独裁の起源がルソーにあると疑われるのは理由がないことではない。ポパーによれば、さらに遡ればプラトンの『国家』篇だが、『国家』篇からは現実には全く何も出てこなかったのに対し、ルソーの『社会契約論』からはフランス大革命以降近代の総体が生まれたという重要な違いがある。

事実をいえばレーニンやホメイニが権力を獲得したのはただの歴史的な偶然で、レーニンはともかくホメイニ以外の別の人物、もっとリベラルな考え方を持った人物がイランの指導者になっていた可能性もあっただろうし、勿論そのほうがずっと望ましかっただろうが、ホメイニが権力を獲得し最高指導者になってしまったというのが世界史の現実である。

岩波文庫の『社会契約論』の邦訳者、桑原武夫がルソー=革命的民主主義者と称揚するのは、まさに、ルソーの議会否定、直接民主主義の主張、一枚岩の統一的な人民の意志、一般意志による直接統治の主張に理由があり、それには、戦後日本のマルクス主義的な政治や思想の風土を考慮しなければならない。しかしながら、桑原武夫が賞賛したのと同じ理由で、我々はルソーを疑うべきである。議会という媒介、不透明性は除去できるのだろうか。英米系の社会思想、例えばジョン・スチュアート・ミルの『代議制統治論』は、間接民主主義を肯定的に論じているが、現代の我々が過去の社会思想を参照するというとき、よく読まれるのは、往々にしてルソーでありマルクスである。つまり、代議制を批判した人々である。そのことに偏見がないかどうかよく検討してみたほうがいい。

実際、議会という不透明で複雑でややこしい(思い通りに決してならない)代表=表象システムとは全く別箇に「一般意志」を実現するのは困難、いや、はっきりいえば不可能で、「アソシエーション」(協同組合と地域貨幣)に定位する柄谷行人のNAM(著作レヴェルでいえば、『トランスクリティーク』)、インターネットへの個々人の自由で恣意的な書き込みの集積が自動的に「集合的な無意識」、「一般意志」を構成するという東浩紀の『一般意志2.0』の背景には、議会や政党政治への深い絶望がある。「アソシエーション」で経済的にやるといってもできないから、最近の柄谷行人はデモに直接民主主義の表現を見るようになり、それはいいことだとは思うが、短絡ではないのかと疑ってみるべきである。

ドイツ語で「表象」は"Vorstellung"であり、(1)上演、上映、興行、(2)観念、表象、(3)紹介、(就職の)面接、面談、(4)抗議、非難、訓戒といった意味がある。動詞形は"vorstellen"で、(1)紹介する、(2)前へ置く(立てる・出す)、(3)表現する、表わす、見せる、示す、演じる、扮する、見せかける、(4)思い浮かべさせる、表象する、(5)言い聞かせる、諭す、といった意味合いである。"vor"は「……の前で、前方に」などであり、"stelle"は「立てる、置く」などである。ドイツ語には、"Reprasentation"という語もあり、代表(行為)、代理、対面、"Reprasentant"=代表者、代理人、代議員である。ドイツ語の言い回しには同一の事柄にふたつある場合があり、「現実性」についての"Wirklichkeit"と"Realitat"などだが、ヘーゲルフロイトハイデガーにおいては使い分けられているそうである。

ハイデガーによる"Vorstellung"(前に-立てること)批判、フランス人による"representation"批判には近代批判(或いは、近代に至るプラトンアリストテレス以来のヨーロッパ思想史総体の批判)という動機がある。

そこからハイデガー自身は古代的で原初的な考え方に回帰してしまう。彼にとっては、「真理」とは、「アレーテイア」、覆われていないこと、「非覆蔵態」であり、政治的には、自由選挙、無記名秘密投票などという賢しらなやり方ではなく、みんなで総統(=ヒトラー)に拍手するような仕方を望んだが、それは、本居宣長などを知る我々日本人にはむしろ分かり易い発想ではないだろうか。

ハイデガーによる表象=前に-立てることへの批判は、対象化し反省することそのものや科学・技術への批判も含み、そして自然科学的な技術だけではなく、普通選挙=議会を通じた代表システムなどの近代的発想も批判、否定の対象である。

ハイデガーナチス加担は偶然ではなく彼の思想にとっては本質的だったのではないかと疑うことができるし、「俺は馬鹿だから反省などしない」と戦後に開き直った小林秀雄を思い出してもいいであろう。小林は積極的に軍国主義に賛成し加担したわけではなかったが、そういうならば、ハイデガーにせよナチスの「粗雑な人種理論」に反対だったそうである。ハイデガーにはナチスニーチェ思想を実現するものではないどころか、むしろ彼が批判してやまないヨーロッパの近世・近代の必然的な結論であることはすぐに分かったはずである。

例えば、ナチスユダヤ人やジプシーのみならず、精神病者や同性愛者なども対象にした迫害や虐殺、殲滅は、一種の社会ダーウィニズム優生学思想に基づいている。それは一定程度「科学的」、「技術的」であり、故に近代的なのである。

政治的な意味での「代表=表象」について考えたが、(1)ルソーにおける当該国家を構成する全人民の「一般意志」、(2)マルクス及びマルクス主義者における「プロレタリアート(賃労働者)」の利害、(3)代理・代表も表象もできないネグリ=ハートの「マルチチュード」を分けるべきだと思う。

(1)についていえば、『社会契約論』をどう読もうと、一国の国民の構成ということを超えるものは何もない。カントの「世界市民」のような普遍性の要求はないのである。ルソーの議論の対象は、どうみても、事実上同一の文化・生活様式、例えば同じ言語(ラング)によって制約されている一定数の人々、要するに「国民(nation)」である。

(2)についていえば、マルクス主義者が「人間主義」をブルジョアイデオロギーとして拒否するのは、「人間」、人類といった漠然とした抽象的な物言いが、ブルジョアジープロレタリアートの利害の差異、更には、資本家と賃労働者と独立自営業者と農民とルンペン・プロレタリアートの利害や立場の違いなどを消去してしまうからである。ここで検討すべきは、プロレタリアートを特に19世紀後半、20世紀前半の「工場労働者」のことだと看做すならば、そういう意味での労働者の力だけで実現できた革命などなかったから、レーニン毛沢東などのマルクス主義者が権力を握っても、「農民問題」、農業問題をどうするのかというのが悩ましい問題だったということである。実際には農民の利害を重視し顧慮せねばならなかったのである。「農工連合」ということを最初に言い出したのはプルードンだったと思うが、それは20世紀の経験にとっても大問題であった。

(3)についていえば、ネグリ=ハートとは微妙に異なるが近い立場の現代イタリアの社会哲学者パオロ・ヴィルノの定式によれば、「人民があるところにマルチチュードはなく、マルチチュードがあるところには人民はない」そうだが、その意味を検討してみると、『社会契約論』が「人民」を究極の統一態と規定していたことが思い起こされる。ルソーにとって人民が最高の統一性であったように、イタリア人にとってはマルチチュードは最高の多数多様性、分散性などとしてある。だが、「マルチチュード」をそういうものとして理解するならば、それは誰によっても代理・代表も表象もできないものである。即ち、represent (representer)不可能な究極の多数多様性と看做されるしかない。

私がいいたいのは、そういう考え方からは、もろもろの通約不可能なマイノリティが「世界社会フォーラム」で出会ってちょっと対話してみる、という以外の実践的帰結は一切何も出てきようがないのではないのか、ということである。

私自身も「ちょっと対話してみる」こと以外の展望がないのは致し方がないとも思うが、そういうことでいいのだろうか。

例えば、サパティスタなどの先住民と女性、セクシュアル・マイノリティが対話すると仮定すると、少なくとも最初のうちは彼らに共通のものなどないはずである。そうすると、何かの課題で共闘するどころか、ほんの少し相互理解を図るだけでも大変だ、ということである。

2000年くらいのことだが、中東かアフリカで激しい武装闘争、反政府運動を展開している人々が来日したことがあったが、平和な日本の我々にいきなり彼らの政治的立場を理解するのは無理だというのが、太田出版の高瀬さんの意見であった。彼はそういう考え方から、フィリピンとのフェアトレード(Alter Trade Japan)を実行していたのである。

例えばパレスティナなどの被抑圧人民と連帯する、同一化する、立場を同じくするという思想と実践は半世紀以上前からあるが、多くの場合はどうしてもうまくいかない。

どうしてそれがうまくいかないのかといえば、口先だけで何をどういおうと、幾ら想像力を逞しくしようと、我々が平和で豊かな現代日本社会でぬくぬく生活しているという客観的な条件は変わらないからであり、マルクスがいう「存在が意識を規定する」というのはどこからどうみても真実である。

確かに人間には、同感、共感、想像力などの能力がある。「共感(シンパシー)」とは、単語の成り立ちからいえば、「共に苦しむ」、苦しみを共にするという意味であり、そこからニーチェは、むしろ歓びをこそ共にすべきだといった。それはそうと、人間の共感能力には限界があることがアダム・スミスの昔から指摘されている。我々は地球の裏側で虐殺される民衆のことにどこまで想像力を働かせて「共感」できるのだろうかという問題である。

ルソー『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫

「人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか? わたしは知らない。何かそれを正当なものとしうるか? わたしはこの問題は解きうると信じる。」(p.15)

→訳注(p.195):「『ジュネーヴ草稿』では、この章の前に『人類の一般社会について』という長い議論がある。その中で、ルソーは、ディドロに答えながら、自然権の理論を攻撃している。(V)」──「自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。」というような考え方は、私の理解が正しければ、19世紀のマルクスの「疎外」論を思い起こさせる。自然状態ではなく社会状態において、一定の仕方で、政治的・経済的に他人の「主人」であると自認している人々も、実は奴隷状態にあるのだ、という主旨の発言だが、社会的にみて「主人」であっても実は「奴隷」だというのなら、この世には主人はおらず奴隷だけだということになり、そうすると、主人と奴隷は対概念だから、そのような区別がそもそも無効化されてしまう。

人間が元々「自由」なのに、「いたるところで鎖につながれている」のは、社会契約が行われ、社会体、国家が創設されたからであり、主人と奴隷、或いは権力関係、従属関係は人為的なもの、制度的なものである。そういう身分が人為であり制度であるというならば、その関係性を変えたり廃棄する可能性が出てくる。

主人も実は奴隷なのだというルソーの発言の真意を推測してみると、現在の社会において主人であるような人々、政治的に権力を持っていたり、経済的に富裕で優位を持っている人々も、自分が何故、どういう根拠において、またどういう具体的な経緯において「主人」の立場にいるのかを知らないから実は奴隷と同じかそれ以下なのだ、という理屈なのではないだろうか。

アリストテレスは正しかった。しかし、彼は結果を原因と取りちがえていたのだ。(中略)だからもし、本性からのドレイがあるとしたならば、それは自然に反してドレイなるものがかつてあったからである。暴力が最初のドレイたちをつくりだし、彼らのいくじなさがそれを永久化したのだ。」(p.18)

→(1) 「結果を原因と取りちがえていたのだ」、遠近法的倒錯という論理または修辞はマルクスにおいても頻出する。ルソーがいいたいのは、奴隷を作り出したのは実際には暴力という人為的なものなのに、後年はその起源が見失われ、あたかも最初から奴隷なるものがあったかのように錯覚するということである。私は原文を参照していないが、「本性」も「自然」も”nature”なのは恐らく確実であろう。だから、「本性からの」と「自然に反して」が対比されているというわけである。

「事実、もし先にあるべき約束ができていなかったとすれば、選挙が全員一致でないかぎり、少数者は多数者の選択に従わなければならぬなどという義務は、一体どこにあるのだろう? 主人をほしいとおもう百人の人が、主人などほしいとおもわない十人の人に代って票決する権利は、いったいどこから出てくるのだ? 多数決の法則は、それ自身、約束によってうちたてられたものであり、また少なくとも一度だけは、全員一致があったことを前提とするものである。」(p.23)

→ルソーはここで、理論(論理)と事実(歴史)の関わりを曖昧にしている。論理的にいえば、過去に「少なくとも一度だけは」、全員一致=社会契約があったはずだというが、論理的にそう推論できるから事実としての歴史もそうだということにはならない。むしろ、先程奴隷についてルソー自身がいったように、起源には端的な暴力があった可能性が高い。歴史を過去に遡ると、「全員一致」どころか「多数者」ですらなく、ただ一人の君主、或いはごく少数の貴族が全てを決定していた光景に遭遇するはずである。19世紀のエンゲルスは、『家族、私有財産、国家の起源』で「原始共産制」を想定したが、その理論的根拠はモーガンの『古代社会』という当時よく読まれた本である。それが2012年の現在も妥当なのかどうかは、私には分からない。ただ、ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』、柄谷行人『世界史の構造』など、現代の人類学の知見などを採り入れて再構成しようという試みは幾つもある。廣松渉の『唯物史観と生態史観』もそうである。

「「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。」これこそ根本的な問題であり、社会契約がそれに解決を与える。(p.29)

→ルソーの社会思想の根本的な考え方だが、残念ながら妥当ではなく、ホッブズ、ヒューム、スピノザのリアリズムのほうが正当である。「各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由である」というような都合の良い話は歴史的にみて存在しない。社会制度、国家は創設されるだろうが、そこで個人の元々の自由や権利は少なくとも部分的には(大部分、といってもいいだろう)奪われてしまう。奪われた人権が正当なものとして確立されるためには、ルソーの生きた時代から遥か数百年もの時間が必要であった。

ルソーの議論はほとんど詭弁とかうまい言い抜けというべきもので、「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全員にたいして、全面的に譲渡する」、「この譲渡は留保なしに行われるから、結合は最大限に完全であり、どの構成員も要求するものはもはや何一つない」、「各人は自己をすべての人に与えて、しかも誰にも自己を与えない。」──p.30の規定だが、各人が自己をすべての人に与えるが、実は誰にも与えないとかいうことはあり得ない。ルソーの理屈は、すべての人に与えるというのは一般性の次元に属し、誰にも与えないというのは個別性・特殊性に属するのだということだが、果たしてそういうふうに論理的な区別を設定すれば済むような問題であろうか。

「だから、もし社会契約から、その本質的でないものを取りのぞくと、それは次の言葉に帰着することがわかるだろう。「われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとして受けとるのだ。」(p.31)

→簡単にいえば、ルソーの社会思想の過激さ・徹底性も、後世ファシズムの起源と恐れられたような暗黒面も、共に、全面的で留保のない譲渡、個別性の一般性への没入・消失という契機においてある。そういうことをすれば、個人的・私的な契機は全く何も残らないはずだが、ルソーその人においてはそうではなく、『社会契約論』、『人間不平等起源論』などの社会思想のテキストと、『告白』、『新エロイーズ』などの文学的テキストの分裂として表現されている。即ち、公共性が創設されたときに排除されてしまった私的なものが、文学として還ってくるのである。類似の構造は20世紀のバシュラールにも見出される。哲学、社会思想において排除されたものが文学として還帰してくるというのは、例えば、デカルトにおいてはあり得なかった事態であり、彼の『方法叙説』、『省察』は文学ではない。ところが、『告白』のテキストは完璧に文学に属する。それがどうしてなのか、検討すべきである。

p.25では、各個人の「特殊意志」と「一般意志」、「特殊な利益」と「公共の利益」とが対比され、前者が非難される。だから、社会契約は、一般意志への服従を拒むものは国家によって服従を強制されるという約束を暗黙のうちに含む、という考え方になる。ルソーは、これは市民が「自由であるように強制される、ということ以外のいかなることをも意味していない」、といっているが、詭弁である。19世紀のマルクスの『ユダヤ人問題について』の論理構成もルソーと同一である。

第一編第八章「社会契約について」(p.36)を読んで考えるべきは、ルソーは、『人間不平等起源論』で孤独な自然人を称えたのに、ここでは一変して「社会状態」を讃美していることで、この推移によって、本能が正義によって置き換えられ、ルソーの記述を要約していえば、人間がただの動物ではなく理性ある人間になる、という理屈である。ルソーはいっている。「もとの状態から彼を永遠に引きはなして、バカで劣等な動物から、知性あるもの、つまり人間たらしめたこの幸福な瞬間」、と。ルソーにおいて公共的なものと私的なもの、社会思想と文学の分裂があったように、社会状態と自然状態もまたそういう分裂状態に放置されている。彼にとって、ホッブズの「万人の万人に対する戦争」とは異なり、自然人は孤独で平和に生きており、それ自体として好ましいものであるはずであった。ところが、『社会契約論』の段階では最早そうではない。この微妙な相違が重要である。

「だからわたしはいう、主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲りわたすことは決してできない、と。またいう、主権者とは集合的存在にほかならないから、それはこの集合的存在そのものによってしか代表されえない、と。権力は譲りわたすこともできよう、しかし、意志はそうではない。」(p.42)

→これは、第二編第一章「主権は譲りわたすことができない」の一文である。ここから考えるべきは、ルソーは投票、多数決を完全に否定したわけではなかったが、主権者は集合的存在そのものによってしか代表されえない、という論理からはどういう帰結が導き出されるのかということである。

「一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす」(p.46)──これもルソーがそう主張したいというだけで、証明することはできない。

一般意志と人々の討議、熟議、議決、投票などの関係において重要なのは以下である。

「意志が一般的であるためには、意志が全員一致のものであることは、つねに必ずしも必要ではない。しかし、すべての票が数えられることは必要である。形式の上での除外はすべて、一般性を破壊する。」(p.41)

「人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝えあわないなら(徒党をくむなどのことがなければ)、わずかの相違がたくさん集って、つねに一般意志が結果し、その決議はつねによいものであるだろう。しかし、徒党、部分的団体が、大きい団体を犠牲にしてつくられるならば、これらの団体の各々の意志は、その成員に関しては一般的で、国家に関しては特殊的なものになる。その場合には、もはや人々と同じ数だけの投票者があるのではなくて、団体と同じ数だけの投票者があるにすぎないといえよう。相違の数はより少なくなり、よ...り少なく一般的な結果をもたらす。ついにはこれらの団体の一つが、きわめて大きくなって、他のすべての団体を圧倒するようになると、その結果は、もはやさまざまのわずかな相違の総和ではなく、たった一つだけの相違があることになる。そうなれば、もはや一般意志は存在せず、また、優勢を占める意見は、特殊的な意見であるにすぎない。」(p.47-48)

特に後者が、東浩紀の『一般意志2.0』の根拠である。「人民が十分に情報をもって審議する」というところに、インターネットなど現代の技術的条件を持ち込むわけである。そして、「市民がお互いに意志を少しも伝えあわない」=徒党を組まないことも条件として挙げられており、これが、東が、ルソーはコミュニケーションの必要性を否定していたという論拠である。「徒党、部分的団体」へのルソーの拒否は先程も強調したところだが、実際の議会や市民社会においては、そういう個々の団体の発言権や力が大きいというのは当たり前のことである。

「だから、一般意志が十分に表明されるためには、国家のうちに部分的社会が存在せず、各々の市民が自分自身の意見をいうことが重要である。」(p.48)──これは東浩紀がルソーを「ひきこもりの思想家」と看做した根拠だが、だからルソーは現代的で正しいと思うよりも、「各々の市民が自分自身の意見をいう」だけでいいのかどうか、「部分的社会」、社会のなかのあれこれの個別的な組織・集団・団体には重要性はないのか、と自問したほうがいい。

一般意志は「個別的な事実または権利」を問題にすることができない、というのがルソーの考え方である(p.51)。「個別意志が一般意志を代表できないのと同様、一般意志も個別的対象をもつ場合には、その性質を変え、一般的なものとしては、人間や事実については判決をくだしえないのである。」、「以上のべてきたことから、意志を一般的なものにするのは、投票の数よりもむしろ、投票を一致させる共通の利害であることが、理解されなければならない。なぜなら、この制度においては、各人は、他人に課する条件に必然的に自分もしたがうからである──公共の決議に公平の性格をあたえる利益と正義のすばらしい調和。ところが、すべて個別的な事がらを議論する場合には、裁判官の行動原理と当事者のそれとを一致させ、同じものにする共通の利害が存在しないから、この公平は消えてしまうのだ。」──ここでも一般性と個別性の和解できない分裂が見出される。

第二編第五章「生と死の権利について」、「社会契約は、契約当事者の保存を目的とする。目的を欲するものはまた手段をも欲する。そしてこれらの手段はいくらかの危険、さらには若干の損害と切りはなしえない。他人の犠牲において自分の生命を保存しようとする人は、必要な場合には、また他人のためにその生命を投げ出さねばならない。さて、市民は、法によって危険に身をさらすことを求められたとき、その危険についてもはや云々することはできない。そして統治者が市民に向って「お前の死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならぬ。なぜなら、この条件によってのみ彼は今日まで安全に生きて来たのであり、また彼の生命はたんに自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件つきの贈物なのだから。(p.54)」

→この箇所に続いて、「犯罪人に課せられる死刑」が考察されるが、近代の社会思想の、或いは哲学・思想そのものの最も根本的で重大な論点である。我々はプラトンの『クリトン』にまで遡ることができるが、ソクラテスが当時当たり前であった脱獄を拒否する理由は、「国家の法律には市民として従わなければならない、それが市民の義務である」ということであった。現代の我々はそれを読んでおかしいと感じるであろう。なぜならば、ソクラテスを死刑にした裁判はどうみても誤謬だからであり、そしてソクラテスには幾らでも脱獄・逃亡のチャンスがあったのにも関わらず、自らそれを抛棄・拒否して、わざわざ死ぬことを選んでいる。それは「国法」の名のもとになされる選択である。ソクラテスが良きアテナイ市民として倫理的、道徳的でありたかったのは分かるが、間違った判決にまで従属して死ななければならないのだろうか。「悪法も法である」、法律が悪法だからという理由で拒否したり無視すれば、国家、社会秩序そのものが否定されてしまい、人間、市民が生きることができなくなるから、悪法にも従わなければならないというのがソクラテスの理屈である。だが、果たしてそうなのだろうか。

そしてルソーに戻ると、統治者が市民に「死ね」と告げ、そして市民がそれに従って死ぬべきである、というのがルソーの論点である。個々の市民は社会秩序、統治、法のお蔭でこれまで安寧に暮らしてこられたのだから、というのがその理由である。そして、犯罪者も、これまで彼を生存させてきた社会の掟を破ったという理由で殺されなければならない。

だが、ここには特に近代以降の決定的な問題がある。つまり、戦争で死ぬ/殺されることと死刑の問題である。それは20世紀のフーコーなどにまで、或いはそれ以降も残存している問題意識である。国家やその統治のありようが、フーコーのいうように変質してきたということはもしかしたら歴史的にみてあったのかもしれない。権力が、人々を死なせる権力からむしろ生きさせる権力、人々の生存・生活を保障してはくれるが、しかしながら個々人を別に自由に解放してくれるというわけではなく、大事なところでは本質的に拘束しているような、そういう権力に変わってきた、変わりつつある、ということはいえるのかもしれない。だが、戦争という場面において、国家が個々人を兵士として徴用し、死の危険がある戦場に投げ出す場合もある。そして、戦争のあり方は時代とともに変わってきた。ヒュームの意見では、古代の戦争は彼の時代の戦争よりも残酷であったそうで、彼の考えは、兵器の技術の進歩が戦争を残酷でないものにした、ということだったが、ヒューム以降の世界史の経験をみるととてもそうはいえない。軍事技術の発達、第一次世界大戦の空襲や毒ガス、第二次世界大戦核兵器などは戦争をますます悲惨で過酷なものにし、そして非戦闘員、一般市民を虐殺するものになってきた。少なくとも戦争においては、権力は現在もなお、人々を「生きさせる」ものではなく、端的に死なせるもの、死を強制するものである。フーコーなどの現代思想は、戦争は例外的なケースで、一般的な日常経験においては権力は福祉国家的、牧人的に国民を養い生きさせるものなのだ、と主張するのかもしれない。だが、ここでは、「ひょっとしたらそうかもしれない」というに留めておく。そして、死刑という事例は、国家が個々人に端的な死を合法的・理性的に強制し執行するものである。

ついでにいえば、ヘーゲルの『法の哲学(法権利の哲学)』もルソーの論理構成と同一である。つまり、犯罪者は犯罪を犯すことで、社会から己れを疎外したのであり、社会によって裁かれ刑罰を受けることはその疎外の打ち消しであり、社会への復帰である、というような、司法、法律、死刑などの正当化である。

「自然が、格好のよい人間の身長に限度をあたえ、それを越えるともはや巨人か小人しかできなくしたように、国家の最良の体制についても、また同じように、国家がもちうる大きさに限界があって、大きすぎて十分に統治できないとか、小さすぎて独力で維持できないとか、いうことのないようになっている。あらゆる政治体のうちには、越えることのできない力の極大があるが、国家は拡大しすぎてしばしばそれをはるかに越えてしまう。社会のきずなは、長くなるほどたるむ。そして一般に、小さい国は大きい国より比例的により強い。」(p.70)

「健全でつよい体制こそ、第一に求められねばならぬものである。そして、大きな領土がもたらす資源よりも、よい政府から生まれる活力にたよらねばならない。」(p.72)

「もし、さまざまな国家において、最高の行政官の数が市民の数に逆比例しなければならないのであるならば、一般に民主政は小国に適し、貴族政は中位の国に適し、君主政は大国に適するということになる。」(p.95)

→ルソーは、拡張主義、大国主義に反対である。直接民主主義的な傾向が濃厚な彼の社会思想は、もし実現できるとしても、小国においてしか実現できない。ルソーの問題意識は勿論「民主政」だが、彼はそれが「小国」に適合的だということは承知している。国家の規模が或る程度以上になり、国民・構成員の数が一定以上になると、そもそもコミュニケーションを取ることすらも難しいから、統一的な「人民」、一般意志などを構成したり、公平な統治体制を構築することは困難、或いは不可能になる。だから、近代国家の大部分、いや、全ては代議制、間接民主主義であり、しかも官僚機構が肥大している。そのことについては、現代日本の我々は、もううんざりするほど繰り返し聞かされている「行政改革」の大合唱を思い起こせばいいであろう。勿論我々としても、行政機構、統治機構が無駄に肥大し、そこに大量の税金が投入、蕩尽されてしまうことは望まない。だが、官僚・公務員などを徹底的に減らし、政治家もまた減らしていくならば、どういう結果になるかといえば、恐らく行政サーヴィス、社会サーヴィスの質の低下であり、統治システムの麻痺である。

話がルソーから逸れたが、彼が国家には適正な規模があると考え、しかもそれを特に「小国」と看做していたことが重要である。私はヨーロッパ、特に北欧の社会事情に詳しくないが、もし、国家の規模がそれほど大きくなく、代議制ではあるが、市民、住民と政府機構がそれほど懸け離れてしまってはいない、統治権力も人々にとってまだ身近であるような国々を想定するならば、それは日本とかアメリカなどよりもずっとルソーの理想に近いのではないか、と考えてみることもできる。

「民主政という言葉の意味を厳密に解釈するならば、真の民主政はこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されるということは自然の秩序に反する。人民が公務を処理するためにたえず集っているということは想像もできない。そして公務を処理するために委員会を設けることは、統治の形態を変えずには不可能だ、ということは明らかである。」(p.96)

「その上、この(民主政という)政治は、結びつけることの困難な事がらのいかに多くを前提としていることだろう! 第一に、非常に小さい国家で、そこでは人民をたやすく集めることができ、また各市民は容易に他のすべての市民を知ることができること。第二に、習俗が極めて単純で、多くの事務や面倒な議論をはぶきうること。次に、人民の地位と財産が大体平等であること。そうでなければ、権利と権威における平等が長つづきすることはありえない。最後に、奢侈が極めて少ないか、または全く存在しないこと。というのは、奢侈は富の結果であるか、または富を必要とするものだからである。奢侈は金持も分棒人も平等に、すなわち金持を財産によって、貧乏人を物欲によって、腐敗させる。奢侈は祖国を柔弱と虚栄に売りわたす。奢侈はすべての市民を国家から奪って、ある市民を他の市民に従属させ、またすべての市民を偏見のドレイとする。」(p.96-97)

ルソーは彼が描き出す民主政が虚構(fiction)であることを率直に認めている。それは「これまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう」というようなものであり、要するに、あり得ないものである。ルソーが列挙する幾つかの条件を読んでも、それをクリアできる国家がどこかにあるとは思われない。我々が生きているこの日本は「非常に小さい国家」ではない。そして日本に限らず現代世界のいかなる国家においても、その国家を構成するすべての人民が容易く集まることは不可能である。事務や議論を省略できるような生活様式の同一性、類似性も存在していない。また、経済的にみれば非常に不平等であり、格差がある。東浩紀は、少なくとも、人々が集まることができないとか、国家を構成する人々の数、規模の問題をインターネット技術によって「社会工学」的にクリアできると看做した。だが、果たしてそうなのだろうか。

「民主政もしくは人民政治ほど、内乱・内紛の起りやすい政治はないということをつけ加えておこう。というのは、民主政ほど、烈しくしかもたえず政体が変わりやすいものはなく、その存続のために警戒と勇気とが要求されるものはないからである。とくにこの政体においては、市民は実力と忍耐をもって武装し、ある有徳な知事がポーランドの議会でいった言葉をその生涯を通じて、毎日心の底から叫ばねばならぬ。「わたしはドレイの平和よりも危険な自由を選ぶ」と。」(p.97)

→民主主義、民主政は、端的に不可能な理念であるか、もし歴史において実現されたとしても、内乱・内紛によって絶えず崩壊する危機に晒される。「烈しくしかもたえず政体が変わりやすい」というのがルソーが挙げる理由だが、根本的には、誰か超越的な支配者がいるのではなく、社会の構成員が全員平等で対等である、同一であるか、同一ではないとしても少なくとも類似している、ということが重要であろう。ルソー没後の歴史において登場してきた様々な民主主義的実験、フランス大革命、パリ・コミューンその他は、内的、外的な原因によって崩壊させられてしまったが、民主主義的な統治体制が持続することができないのかどうか、21世紀の我々も自問してみてもいいであろう。

「もし神々からなる人民があれば、その人民は民主政をとるであろう。これほどに完全な政府は人間には適さない。」(p.97-98)

これが民主主義、人民政治の理論家と思われているルソーの意見である。だが、果たしてそうだろうか。ルソーの言葉を額面通りに受け取れば、「人間は神々などではない」、だから民主政治など不可能だ、というしかないが、本当にそうなのだろうか。違うと思うが。

「あらゆる政府において、公人は消費するのみで何一つ生産しない。それでは、その消費される物質はどこからくるのか? 構成員の労働からである。公共の必要物をつくりだすものは、個々人の剰余である。そこで、市民状態なるものは、人々の労働がその必要以上のものを生みだす、その限りにおいて存続しうるということになる。」(p.110)

→これがマルクスが政治的国家の死滅・廃棄、政治的国家の社会的国家への解消を考えた理由である。「公人」、政治(統治)に携わる人間は、国家の構成員、統治される人々の労働の生産物によって喰っており、生活を保障されているが、そのことが欺瞞だし差別である、ゾーン=レーテルの表現でいえば、精神労働と肉体労働の区別、差別という意味で差別だから解消すべきだ、というのが、マルクスの考え方である。そして、ロシア革命が実行され、ソヴィエト連邦が創設された。レーニン自身は、やがて国家は解消され死滅すると考えていたが、その後、強固な官僚支配が出来上がってしまい、労働者や兵士などではなく党官僚が絶対的且つ恣意的に統治するようになってしまった。そうなると、それはもう国家の死滅・廃棄などを構想できるレヴェルのものではない。だが、ソヴィエトの結論がそうだったからといって、政治的国家を揚棄することが絶対に不可能だというわけではない。

「人民が、主権をもつ団体として、合法的に集合するやいなや、政府の裁判権は全く停止され、執行権は中絶され、最下層の市民の身体も、最上級の行政官の身体と同じく神聖で不可侵なものになる。というのは、代表されるものが、みずから出ているところには、もはや代表者は存しないからだ。」(p.130)

→ここにはルソーの発想の、こういってよければ、最もラディカルで「革命的」な部分が窺える。そしてそれが「代表」可能性に関わっている、という事実が重要である。彼の時代、「デモ」などはなかったから、ルソーが想定しているのは、ローマの民会である。しかしながら現代の我々は、ルソーの議論をその後の世界史的展開を参照しながら拡張することができる。

「国家のすべての構成員の不変の意志が、一般意志であり、この一般意志によってこそ、彼らは市民となり、自由になるのである。」(p.149)

「主権は譲りわたされえない、これと同じ理由によって、主権は代表されえない。主権は本質上、一般意志のなかに存する。しかも、一般意志は決して代表されるものではない。一般意志はそれ自体であるか、それとも、別のものであるからであって、決してそこには中間はない。人民の代議士は、だから一般意志の代表者ではないし、代表者たりえない。彼らは、人民の使用人でしかない。彼らは、何ひとつとして決定的な取りきめをなしえない。人民がみずから承認したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない。イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかをみれば、自由を失うのも当然である。

代表者という考えは近世のものである。それは封建政治に、すなわち人間が堕落し、人間という名前が恥辱のうちにあった、かの不正でバカげた政治に、由来している。古代の共和国では、いな君主国においてすら、人民は決して代表者をもたなかった。こうした言葉を、ひとは知らなかったのだ。」(p.133-134)

→ルソーに幾つも反論が可能だろうが、代議士が何一つ有効な決定をできないと看做すとしても、どうにかして社会的な政策決定がなされる必要があるし、差し当たり、それは議会しかないはずである。彼がイギリス人を馬鹿にするとしても──ここにも英米系の社会思想の伝統とルソーなどフランス思想の違いを認めることができるが──、「議員を選挙する間だけ」しか「自由」ではなく、選挙が終わると奴隷になってしまう、という言説を、我々は、ルソー以外の膨大な政治理論家から聞かされてきたはずである。確かに、それは一面の真理ではある。選挙で自分が支持する候補者に一票投じてみる、という程度の、一瞬で終わるような「行為」など何ほどのものでもなく、実在的・現実的ではなく、故に、本当の自由などを創設できない、と考えるのは当たり前のことである。だが、選挙や代表者、議会を斥けて、どういうふうに具体的に社会を構成する方法があるのだろうか、ということが依然として問題である。

「一般意志」は、後のカントの「良心」、「道徳法則」のようなものである。というのは、それは破壊、腐敗することなどなく、どれほど酷い状況でも、投票で金銭で売る時でさえなくならず、「つねに存在し、不変で、純粋である」(p.146)ようなものだからだ。「投票を金銭で売る時でさえ、それによって彼は、自己の心中から一般意志を消滅させたのではなく、一般意志をさけたのである。」──だが、そういうことは、ルソーは「超越論(先験的)哲学」のような思弁的な理屈を捏ね廻してはいないが、事実上、経験を遥かに超え出た「超越論的」な想定なのではないだろうか? なぜならば、現実がいかに酷くても、「一般意志」は依然純粋なままに留まるからである。こういう考え方は、経験によって反証されることがないから、決して論駁されず、敗北することがない。だがしかし、「勝利」することもまたない。

「各人は投票によって、それについてのみずからの意見をのべる。だから投票の数を計算すれば、一般意志が表明されるわけである。従って、わたしの意見に反対の意見がかつ時には、それは、わたしが間違っていたこと、わたしが一般意志だと思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない。もしわたしの個人的意見が、一般意志に勝ったとすれば、わたしの望んでいたのとは、別のことをしたことになろう。その場合には、わたしは自由ではなかったのである。

もっともこのことは、一般意志のあらゆる特長が、依然として、過半数の中に存していることを、前提としている。それが過半数の中に存しなくなれば、いずれの側についても、もはや自由はないのである。

さきにわたしは、公共の討議の際に、どうして個別意志が一般意志にとってかわるかを示して、この弊害を防ぐ実行可能な方法を、十分に指摘しておいた。このことについては、後にまたのべよう。また、一般意志をあらわすためには、どれだけの割合の投票数がいるかについても、これを決定しうる原則を示しておいた。ただ一票の差でも同数ではなくなるし、一票の反対があれば、全員一致は破れる。しかし、全員一致と(賛否)同数の間には、多くの不等なわけ方があり、政治体の状態と必要に応じて、そのどれかの分け方にもとづき、この(一般意志をあらわす)数を決めることができる。

二つの一般的な格率が、この比例をきめるのに役立ちうる。一つは、討議が重大であればあるほど、勝をしめる意見は、全員一致に近づかねばならないということである。今一つは、論争される事がらが、急を要すれば要するほど、意見を区別するのに必要な既定の差を、せばめねばならない。すなわち、即決の要のある討議においては、ただ一票でも多ければ十分としなければならない。これらの原則のうち、第一のものは、法をきめる場合に適し、第二のものは、事務(を処理するの)により適しているようである。いずれにせよ、この二つの原則の組合せにもとづいて、決議するための多数を定める最もよき比例が、きまるのである。」(p.149-151)

→ルソーは投票、多数決を否定するどころか、票の数が正確に数えられるということが一般意志の成立の条件であると看做していた。今引用した部分についても、一般意志と投票行為、議決の関連が述べられているが、抽象的な一般意志と、具体的な投票行為の有意味な関連については、やはり不明なままである。

「一般意志」が、ただ単に投票の数を数えれば決まるようなものなのかどうかは、私はルソーの論理に内在的に即してさえもそれを疑う。だが、ルソー自身は自分の言説に少しも疑問を抱いていないようである。