2012年6月20日(水)、Facebookにて、「現代思想」について考える。

Paul Virilio(ポール・ヴィリリオ)の想い出を少し書くが、彼?が日本に紹介されたのは、市田良彦が訳した『速度と政治』によってで、それは確かに斬新で衝撃的な内容であった。

どこが斬新だったのかといえば、とにかくリアルな認識だということで、彼はマルクスよりもエンゲルスを重視する。それも経済分析ではなく、エンゲルス戦争論、軍事的な側面を重く見る考え方だし、彼が引用するのは著名な哲学者などではなく、18世紀くらいの○○将軍とかいう軍人などである。

ヴィリリオが「フーコーのいう規律・訓練などは現代ではもう時代遅れだ」と主張したらしく、『千のプラトー』のドゥルーズ=ガタリはその批判に対してフーコーを擁護していたがヴィリリオのそのような意見の根拠は、確か、海軍の現在の在り方か何かであった。

そういうヴィリリオは「速度」を重視する現代的な論客に見えたかもしれないが、その後彼の著作の多くが邦訳されて、そうではないことが分かった。彼はどちらかといえばカトリックにシンパシーがあり、近代技術や「速度」などに懐疑的・批判的な思想家だったのである。そういうことが彼の多くの著書が知られるようになって判明した。

ただ、2012年の現在もまだ邦訳されていないヴィリリオの重要な著作がある。"L'insecurite du territoire"(『領土の不安定性』)、"Defense populaire et luttes ecologiques"(『民衆防衛とエコロジー闘争』)である。

(澤里岳史さんのコメント:「後者は少し前に訳しましたよ…拙い訳かもしれませんが。」)

どうしてそれらが紹介されないのかは分からないが、日本の知的流行は移り気で飽きっぽいから、すぐにヴィリリオにも飽きてしまったのだろうと思う。そういうことがいいことだとは思わないが。

そして私なども、もっとフランス語がよくできたら、それらの本をすぐに読んでその内容をみんなに紹介できただろうが、残念なことだが、そこまでフランス語能力がない。

ただ、ヴィリリオの文章というのは、ややこしい思弁を展開するようなものではなく、技術的、軍事的、具体的であることは確かである。

ヴィリリオを初めて読んだとき、エンゲルスを重視するとか、○○将軍、毛沢東など「思想家」としてはそれほど知られていないし重視されていない人々の言説の分析がメインだったのが非常に新鮮だし面白かった記憶がある。

ヴィリリオの著作のテーマは、近代技術、軍事・戦争、都市などだが、変り種としては、ナチスと映画産業の関係を書いた『戦争と映画』がある。

記憶違いでなければ、ベイトソンにもそういうテーマの映画論があったはずである。

ただ、ヴィリリオ以前にそもそもフーコーがそうだったが、一般的な哲学史・思想史を参照するのではなく、非常にマイナーな、或いは、特殊・特定的な領域の言説だけを扱ってその歴史や内的論理を追求する議論が、20世紀の終わり頃から急増した気がする。それは日本では、表象文化論とか、ポストコロニアル分析とか、サブカルチャー批評などといわれ、小馬鹿にされることも多いが、それほど馬鹿にしたものでもない。

そういう分析の問題点は、扱う資料体そのものは誰も知らないような斬新なものでも、方法論、道具立て、議論の枠組み、視点などはありふれていたりすることである。

哲学史・思想史なら先人の仕事が沢山あるし、そういうものを凌駕することはできない。だが、日本の戦後の漫画とか、テレビドラマなどを分析対象にするならば、恐らくそういう領域のことはまあ誰も書いていない。書いているかもしれないが、少なくともまだ本にはなっていないから、その点で有利である。

ただ、漫画であれテレビであれ、何を分析するのでも、そのための視点や概念的な枠組みが必要だが、そういうものを滅多矢鱈に新しく発明することは恐らくできない、ということである。フーコーの場合も、彼の歴史分析の背後にはニーチェハイデガーの枠組みがある。

20世紀後半の現代思想も、そういう言説戦略から捉えたほうがいいと思う。フーコーの扱う資料は最初から最後まで誰も知らないような古文書だったし、ドゥルーズ哲学史だが彼の参照する著者は彼以外誰も知らないようなマイナーな人々である。デリダの議論の対象はオーソドックスな哲学だったが、脱構築はありとあらゆる言説に適用可能だというのが彼の考え方で、フランス、アメリカ、日本の「デリディアン」、脱構築派はそれを実行した。

高橋哲哉靖国問題脱構築を実行し、東浩紀はマンガ・アニメ・ゲームで実行したというとき、彼らの源泉が同じデリダだというのは信じられないが、「脱構築はありとあらゆる言説について実行可能だ」、ということが重要だったわけである。

そういうところに読者・研究者の側の困難や限界もある。我々はフーコーそのものを読むことならできるが、彼が扱っている古文書を読むことはできない。少なくとも日本にいる限りそれらを目にする機会はなく、フランスの古文書館に行かなければならない。ドゥルーズが参照しているテキストにも余りにマイナーだからどこにもなく、入手不可能なものも多い。

そうすると、そういう条件で読んだり研究してみても、果たしてどこまで分かるのだろうか、という話にもなる。

ただ、別に、ディドロスピノザ、カント、レーニンなどもテキストの背景まで調べようと思えばやはり大変だろう、というのは間違いない。

例えば廣松渉には在外研究の経験はなかったはずだが、そうすろと、彼のテキストクリティーク、文献考証、実証などは非常に制約された条件のもとで行われた、ということになる。

現代の研究者は、廣松渉の『ドイツ・イデオロギー』の読み方はいい加減だ、と批判する場合もある。だが、彼の置かれていた状況も考慮すべきだと思う。現在なら、例えばマルクスの草稿は画像スキャンされて、CD-ROMになっているとすると、誰でも参照できるのかもしれない。しかしながら、1980年代以前にはそうではなかった、ということである。

マルクスの手書きのドイツ語草稿は非常に読みにくいそうだし、例えば数学論がそうだが、当時発見されても、ソ連がごく一部しか公表しなかった場合もある。そうすると、かなりの部分が臆測にならざるを得ない。

マルクスの数学研究ノートは1000ページ以上あるそうだが、廣松渉が生きていた間に公開、公刊されたのは10%程度だったそうである。

少し脱線するが、マルクスが数学に取り組んだのは、経済学的な著述で実に初歩的な計算ミスが多かったから(彼は小学校の算数すら苦手であった)、これではいけない、と思って数学に取り組んだら嵌ってしまった、ということだったらしい。

小学校の算数もできなかったマルクス微積分など高等数学も含めて全部考察しようとしたのは凄いことだが、第三者的にいえば、それでどこまで論じることができたのだろうか、という疑問もある。

とにかく、多分現在も全部公刊されていないのではないかと思うが、マルクスに1000ページ以上の膨大な数学ノートがあるのは客観的な事実であるらしい。