吉本隆明の「解体」

もう少し具体的な背景を説明しておくべきだろうが、戦時中、吉本隆明は狂信的な軍国少年であった。それが本当かどうか確かめる方法はないが、とにかく、本人がそう証言し言い張っていたのは文献的な事実で、1950年代にデビューしたときの彼の徹底したスタンスが「戦後民主主義は欺瞞だから否定する」というものだったのには、そこに理由がある。つまり、俺は本気で信じていたのに、戦争に負けたら一夜にして「民主主義者」になったお前らの軽薄さは一体何なのか、という憤りが動機である。

それから1980年代に吉本隆明が消費社会の熱狂を肯定したことについてだが、吉本の見立てでは、純文学(村上春樹など)であれ、サブカルチャー椎名誠など)であれ、それらの表現が示していたのは「解体」であり、そこに「現在」の「現在」たる所以があるのだ、ということであった。そして、知識人であり批評家である吉本隆明自身も、その「解体」に寄り添い、「解体」を自ら実行することになるが、その結果が「毎日8時間以上TVを観続ける」というような悲惨な実践である。「解体」といっても一体何が「解体」されるのかはさっぱり分からないが、恐らくそれまでの主体性、自我、自己意識、「知」などが「解体」されていくということだったのだろうし、そしてそういうことなら確かに実行されたわけである。

ところで、吉本隆明が死んだ日、姜尚中が『朝日新聞』に追悼文を書いた。姜尚中は若き日(学生時代)の自分が「教祖」吉本隆明の「信者」、吉本信者であった事実を率直に認め、その誤りを撤回した。成熟した批判的知識人、政治学者になった姜尚中からみれば、罵倒以外何もない吉本隆明の批評文などよりも、丸山眞男政治学、政治思想のほうが遥かに重要だし価値があるというのは、当然のことであった。丸山眞男吉本隆明への優位、現代性、アクチュアリティは、「戦後民主主義」を巡る考え方、評価だけでなく、核や原子力発電所などの近代テクノロジーをどう考えるか、ということについてもいえる。それはともかく、若き日の自らの誤謬、軽信を率直に認め自己批判した姜尚中は正直であり立派である。私自身も一言だけ「告白」しておけば、14歳(中学2年生)から16歳(高校1年生)までの間、私は、吉本隆明のほうがジャン=ジャック・ルソーよりも偉い、『共同幻想論』などのほうが『社会契約論』よりも面白いし説得的、「批判的」だと錯覚していた。37歳の私がそういうふうに思わない、というのは、当たり前のことである。