「庶民・吉本隆明」という思想家

補足していえば、まさに今いった理由で、吉本隆明は、戦前や同時代の左翼知識人に対する自らの優位を誇っていた。吉本からみれば、かつての、そして現在(当時)の左翼は観念的であり、大衆を感情的、情緒的、共感的に受け入れることができないから(吉本の表現では、「大衆の原像を自己思想に繰り込む」ことを課題としないから)、大衆から遊離し教条的になるのだ、というようなことで、そういう考え方は初期の『転向論』に窺うことができる。吉本隆明の考えでは、佐野・鍋山が転向したのは、自分(達)が大衆の動向から遊離し孤立している、という感覚からであり、大衆の動向(=現実)を無視し結果として観念的に孤立するという意味では、獄中非転向の人々も同じだ、ということになる。

吉本自身は、ありとあらゆる意味で、「大衆の動向」と向き合い、「大衆の原像」を自己思想に繰り込み、大衆存在=自然に共感し寄り添おうとした。だが、その「大衆」とは、1930-40年代には戦争に向かい、1980年代にはバブル景気、消費社会に熱狂したような人々のことである。そういうものまで含めて徹底的に「肯定」するのが、「庶民・吉本隆明」という思想家なのである。