近況アップデート

おはようございます。「若かった頃、ある患者と大変親しくしていてよく雑談したものだったが、あるとき彼は私の話を聞きながら、長い間じいっと私を見つめていた。それでも話し続けていると、彼は私の眼をのぞきながら突然、「この男はまだ喋っている」といったんだ。私の言葉がぜんぶずれ落ちていくみたいだった。他の場所ではまずありえないことだ。」このようにいっているのはガタリです。

ドゥルーズが自殺したのはイツハク・ラビンが暗殺されたのと同時期でしたが、当時語られていたことを読みますと、少し違和感を覚えます。ただ、その前に、ジャン=リュック・ナンシーの証言を再読しますと、ドゥルーズが彼に最後にいったのは、「息苦しいのだ。また電話するよ」ということと、「私には、もう肺というものがなくてね」ということだったそうですが、そういうことは気の毒に感じます。

私が違和感を覚えるというのは、「ストア派の哲学をあれほどに好んだひとならば、自ら死を選ぶことくらい自然なことはない」「死に際はかえってきっぱりと潔かった」などと自殺を美化する坂部恵、「すると大事なのはドゥルーズのガッツということになろう。もちろん、それはガッツあふれる自殺だった」などとわけのわからぬ意見をいう澤野雅樹などですが、そういうものを読んで私がろくでもないと感じるのも当然でしょう。

そのほかに大事なことが幾つかありますが、ひとつひとつみていきますと、まず、ホワイトヘッドへの意見です。「ある時、翌年のテーマは愚鈍、愚かさであるとドゥルーズが言っていたことがあるんです。結局やりませんでしたけれども、ドストエフスキーをテキストとしてあげ、どういうわけかホワイトヘッドもあげていました」(宇野邦一)ということでしたが、ドストエフスキーと愚鈍が関係があるのは彼が『白痴』を書いたからでしょうが、ホワイトヘッドについてはまったくわけがわかりません。

それから、先日言及したことですが、石田英敬がいうには、68年5月のパリ革命の7年後のパリ第七大学ジュシュウ校舎の大講堂の壁に落書きがあったそうです。石田英敬はその落書きはトロツキストによるものだといいますが、どうしてそう断定できるのか、理由は不明です。その落書きはこういうものでした。「Michel et Gilles, victimes de ... / ミシェルとジル、……の犠牲者……」

言語学について少しいえば、「ドゥルーズにはある特殊な唯物論的な記号論、感性的な記号の識別と批判にもとづく実践哲学があった」という石田英敬、『千のプラトー』が「ドゥルーズ言語学の集大成」であるとかいう宇野邦一を私が少しも信じないのも当然のことです。