近況アップデート

私は高校生のときに橋本治を読みました。以来、彼が書いたハッピー・エンドなるものの意味を考えてきました。それはこういうことです。連作の終わりに、木川田君は異性、女性と付き合うようになります。他方、木川田君の友達(名前を忘れました)のほうは、同性愛者ではありませんでしたが、同性と恋愛をする、付き合うという選択をします。主人公の「桃尻娘」(彼女のことも名前を忘れてしまいました)にも何かサプライズ、転機があったと思います。私は同性愛者が異性愛者になったりその逆はあり得ないのではないかとか、そういうことが言いたいわけではありません。むしろその小説の内部ではそのような変化はそれなりに説得的に描かれていたように思います。木川田君と友達の間では、親しく付き合ううちに、「理想の交換」のようなことが起こったのです。それは作品の内的なロジックとして理解できます。けれども橋本治が、そのようにしなければ、木川田君のために、彼がいうところの「未来」を用意してあげることができなかったということの意味を考えることがよくあります。