近況アップデート

ヴィスコンティの映画では再現されていなかったと思いますが、トーマス・マンの小説には、主人公が一所懸命、自分は偉いのだと自分に言い聞かせようとする場面があります。自分は偉いというのは、単に有名であるということではなくて、自分の文学的な仕事が立派なもの、誇らしいものだというような自覚なのでしょう。彼にはそのような立派な人間、偉い人間であるはずの自分がどうしてこういうわけのわからぬ状態に陥ってしまったのか理解できません。どうして変な夢を見るのか。化粧までするようになってしまったのか。実は主人公は旅行先にやってきたとき、化粧して遊ぶ老人達の姿を見掛けるのですが、そのときは彼はただ単に嫌悪感を覚えるだけです。いい歳をして見苦しい、とか思います。でも自分もそのような老人連中と同じになってしまいます。彼はそういう自分の状況を理解することができません。一方で自分は偉いとか芸術家だという意識があります。他方、恋愛感情や性欲があります。それに引き裂かれてしまいます。幾ら偉い芸術家でも恋愛感情や性欲を感じないということはできません。それは不可抗力です。そのことに彼は非常に苦しみますが、しかし、どうすることもできません。