近況アップデート

少し違った角度から考えてみましょう。河出文庫から出ていると思いますが、若き日の橋本治はどうして、『蓮と刀』とか『秘本世界生玉子』などで、夏目漱石の『こころ』、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』、果ては同性愛者の雑誌である(もう廃刊された)『薔薇族』の読者投稿欄に至るまで、あれほどまでに意地悪で残酷な分析をするのでしょうか。私の考えではそれは、橋本治自身が自分の同性愛的な感情をうまく整理できていないというだけのことでしかありません。それ以上の意味はまったく何もありません。橋本治がいっていることには何も合理的な根拠はありません。例えば彼は、『こころ』での「先生」と「私」の間の感情が同性愛的なのだとかいいます。けれども私はそうは考えません。同性愛者である(というふうに公言はしませんが、彼が若い頃書いたものをすべて読んで総合的に判断するとそのように考えざるを得ません)橋本治にはそうみえたというだけの話です。