近況アップデート

おはようございます。ホロヴィッツ病に私も感染してしまいました。今、CBSの『月光』『悲愴』『熱情』のカップリングを聴いています。昨日から繰り返し聴いています。何度聴いても飽きないですね。私はこれは中学生の頃からずっと、それこそ暗記するほど聴き込んできたのですが、それでも飽きません。

LETSのことを少し考えようと思いますが、その前に少し寄り道をしようと思います。NAMそのものだけではなく、NAMの沢山のセクション(「東京」、「宗教」、「ジェンダーセクシュアリティ」等)もQに団体会員として入っていましたが、私の受けた感じでは、特にQに苛酷だったのは、宗教セクションの人々でした。彼らはただ単にQをやめるというだけではなく、支払った会費の返還を要求しました。そういうことをやったのは、個人ではなくセクションとしては、宗教の人々だけだったと思います。けれども私は不思議に感じていました。高い会費を払ったが役に立たないので返せとかいうわけですが、はっきりいって彼ら個人の金ではなくNAMの金です。そしてNAMは解散するのですから、お金を返してもらっても特に意味はありません。「資産管理委員会」に吸収されるだけというしょうもない話です。宗教セクションの代表は、個人名も宗派ももう忘れましたが、仏教の坊さんがやっていました。それで当時私はその坊さんに彼の考えを訊いてみたことがあります。彼の返答は、Qでは「Q葬儀」ができませんからね、というようなことでしたが、私には不可解でした。ただそれだけのことならば、とりたててQに苛酷でなければならない必然性がないと思います。私はその坊さんを含め宗教系の人々には、彼らなりの思想的な理由、宗教的な理由があったのではないかと思います。彼らにはQがそれこそ「邪教」のような忌まわしいものに見えてしまったのではないでしょうか。

さて、LETSを考えますが、Q-NAM紛争とか、柄谷さんと西部さんの抗争ということだけでは視野が狭くなってしまいますから、適宜もともとのマイケル・リントン(LETSを考え出した人)の意見や、リントンへの地域通貨研究者からの批判などを参考にしていきたいと思います。

私は用心深いので、NAMを知ってから入会するまでに、西部さんの基本的な論文を読むだけではなく、マイケル・リントンのウェッブサイト(英語)をチェックし、自分なりに吟味検討しました。それで、いろいろと考えることがありました。

そもそもリントンという人は別に経済学の専門家ではありません。彼はカナダのバンクーバー島だったかで整体だか鍼灸だかをやって喰っていた人です。そのような彼がどうしてLETSを考えたのかといえば、簡単にいえば、資本主義による経済的激動から地域共同体を守りたいというのが動機でした。

例えばリントンはカナダのどこかの地域共同体に住んでいます。ところが、資本主義経済には当然好不況の波があるので、どうしてもその影響を蒙ります。好況時にはお金がだぶつきますが、不況になると地域からお金が出ていってしまいます。そういう不安定が非常に困るのでどうにかできないだろうかとリントンは考え、民衆が自分でお金を作ればいいのではないか、という結論に到達しました。それがLETSです。

さて、そのマイケル・リントンは、多分今もあると思いますが、LETSystemsというウェッブサイトを開いて彼の考えを表明していました。私はそれを読みましたが、自分に理解できる限りでいえば、とても素朴な考え方だと感じました。もちろん素朴だから悪いとか間違っているといった話ではありません。

リントンはこういうことをいっています。例えば、「センチメートル」とか「メートル」などの尺度が不足しているから仕事ができない、家が建てられないというような大工さんがもしいるとすればそれは奇妙です。彼の考えでは貨幣についても同じです。具体的な技能、スキルを持ち、働きたいという人々がいるのに、地域にお金(円でもドルでもカナダドルでもなんでもいいでしょう)が不足しているから彼らを雇えないとすればそれはおかしいというのです。だから地域貨幣を作ればいいのだという話になります。

ただ、そのリントンの意見を読んで少し不安というか心配になりました。私は特に経済学に詳しくないですが、彼が語っているのが伝統的に貨幣名目説とか貨幣尺度説と呼ばれている考えで、貨幣論がそういうことでいいのかということについてはいろいろと議論があるということくらいは知っていました。例えばマルクスの『資本論』はそのような考えではありません。マルクスは貨幣の生成を説明するのに、価値形態論のようなややこしい理屈が必要だと考えていました。

さて、西部さんはマイケル・リントンのLETSを日本に紹介しましたが、西部さんはリントンと違って専門の経済学者でした。

西部さんは経済学者ですが、マルクス経済学者でも近代経済学者でもありません。彼はその両方を研究しています。彼は『重力』の同人であった時期がありますが、そこで、自分はマルクス経済学の人からも近代経済学の人からも敬遠されてしまうけれども、そんなに構えないで貰いたい、というようなことを言っています。NAMのウェッブサイトで、ゲゼルという経済学者(よく地域通貨の根拠づけに持ち出されます)のマルクス批判が妥当かどうか吟味する論文を公表していたと思います。

問題は、リントンのLETSは地域防衛や地域経済活性化のアイディアであり、そのための極めて具体的な技術でしたが、西部さんがそれを、科学的、学問的な原理にまで高めてしまったということです。

西部さんやその協力者、例えば宮地さんは、「ゼロサム原理」、「信頼原理」、「産業連関内包説」などを考えました。「産業連関内包説」を主張し始めたのは、別に経済学者ではなく当時パン屋さんだった宮地さんだと思いますが、けれどもそれはもともと西部さんの考えとしてありました。西部さんはカフェスローで、日本の地域通貨の人々、例えばレインボーリングの人々にその自説を主張して論争になったことがあります。

けれども西部さんが主張していたようなことが、果たして経済科学として妥当であったかというのは疑問があります。もちろん私は経済科学の専門家ではありませんし、西部さんはその専門家なわけです。だから私の考えが間違っている可能性も十二分にあるということはあらかじめ申し上げておきます。

ゼロサム原理」とかいっても、たいした話ではありません。今も存在しているのかどうか知りませんが、NAM解散後一時、誰か匿名の人が作った、実はLETSというのは簿記の原理と同じ構造なのだ、と主張したウェッブサイトがありました。その後私自身簿記の勉強をしたことがありますが、確かにそうなのではないかと思いました。

つまりこういうことです。例えば私が白井君にレーニンについて講演をして貰いたいと頼み、その報酬をLETSで支払いたい、例えば3000LETSを支払いたいと考え、私と白井君が合意するとします。その取引が成立しますと、白井君のLETSの口座には+3000LETSと記帳され、私のLETSの口座には-3000LETSと記帳されます。それはそのLETSにおけるありとあらゆる取引において同じです。もし誰かに大きな赤字があるとしても、別の誰かに黒字があるはずです。そのようなLETSはクローズドですが(会員制度なのですから当然です)、確かにLETSでの取引だけをみれば経済的には安定しているかもしれません。

そもそもQを作る段階で、NAM内部に反対論がありました。LETSには利子がつかないから、また「ゼロサム原理」が成り立つから、それは貨幣であるが貨幣ではないようなもので、資本には転化しないのだというような理屈に疑問を表明した人々がいました。けれども柄谷さんと西部さんは(当時彼らの意見はまったく同じでした)、そのような人々の異論を「経済学的」に「論破」してしまいました。

それから湯本さんのような人にはまた違った意見がありました。彼は、もし地域貨幣が資本に転化しないようなものだとすれば、それは現実の経済にとって、例えば湯本さん自身が考えていた生産協同組合にとって、まったく無効で無意味ではないのか、というような考えを表明しました。けれどもその湯本さんの意見も、無視されてしまいました。

「信頼原理」とかいうのも、別に原理などというほどの考えではありません。それは、地域通貨の会員達のコミュニティで醸成される「信頼」が地域貨幣の価値を担保するというような話です。けれども決定的なことは、西部さんがインターネットの地域通貨で「信頼」を確保するためには絶対に実名でなければならないと考え、ペンネームをほとんど完全に拒否したことです。そのために岡崎さんその他の多くの人々が反撥してNAMをやめてしまいました。それから西部さんと柳原さんの間で激しい論争がありました。

それはこういうことです。柳原さんはとりたてて経済学の専門家ではありませんでしたが、頭が良い人でしたけれども、彼が彼なりに理屈で考えると、絶対に実名でなければならないなどとはいえないのではないかと考えたということです。たとえペンネームであっても、その名前と個人に一対一の対応関係があることが確認されるならばそれで十分であると考えたのです。

実際柳原さんはNAMでは、彼の職業上NAMに入っていることがばれるとまずいという理由でペンネームを使っていましたし、太田出版から出た『NAM原理』に生産協同組合についての論文(といっても、はっきりいえばたいしたものでもないのですが)を寄稿していますが、それもペンネームです。当時2ちゃんねるで、柳原さんのことが、「笑顔が素敵な一人で二人の弁護士」であり、NAMで有意味なのは彼の存在だけだ、などと書かれていましたが、なるほど私自身もその通りであったと思います。柳原さんが「一人で二人」であったというのは、彼がペンネームを使っていたという意味だったのです。

その柳原さんにはQでもペンネームを使いたいという希望がありましたが、けれども西部さんから絶対に拒否されてしまいました。それだけではありません。西部さんは柳原さんをQの監査に告訴してしまいました。柳原さんがNAMの人々への影響力や権威を私的に利用して、自らのペンネーム審査を有利に進めようとしている、それは規約違反である、というような理由です。けれども、理屈で論争して勝てないから、監査に訴えることでやっつけてしまうというようなやり口は果たしてフェアといえるのでしょうか。

そのようなことがあって、我々は困ってしまいました。蛭田さんのアパートの屋上で何人かで事態を話し合いました。柳原さんの意見では、西部さんにとってQを守りたいというのはもうロジックを超えた感情的な問題、母性本能のようなものなので、彼を論理で説得しようとしても不可能なのではないかということでした。ただ、柳原さんは、そういうことがあったとしても、西部さんと自分との信頼関係は微動だにしないと語っていました。彼は、論理的に自分が間違っているというふうには少しも考えなかったでしょうが、西部さんの立場を慮って自分の主張を引っ込め、Qには(彼自身の意向に反して)実名で参加しました。