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さて、来日したマイケル・リントンが、ナマケモノ倶楽部の辻信一さんに連れられてNAM東京の事務所を訪れ、そこのパソコンでQのソフトウェアの動作を実見したうえで吟味検討し、彼なりの意見を述べたということがありました。私はそのときにリントンと会い、当時発売されたばかりの批評空間社刊の『トランスクリティーク』を持っていましたので、それにサインをもらいました。

リントンの意見はこうでした。「私の母親だったらQには入らないだろう」。リントンはそのように語ってやんわりとQを否定したのです。では、それはどうしてだったのでしょうか。

西部さんの経済理論が間違っていると考えたなどということはまずあり得ません。リントンの疑問はもっと具体的で現実的なものであったはずです。それはこういうことです。Qでは規約上もシステム上も、少しもプライヴァシーがありません。むしろQを推進した人々は、我々は私有財産を否定(揚棄)するのと同じようにプライヴァシーも否定(揚棄)するのだなどという理屈で、プライヴァシーを否定してしまったのです。後に意見をころっと変えてしまいますが、柄谷さんも当時はそのような考えでした。

Qにプライヴァシーがないというのはどういうことでしょうか。それはまず絶対に実名であるということです。なるほど柄谷さんのペンネームは許可されたかもしれません。けれどもそれはそれだけのことです。柄谷さんは、西部さんに遠慮して、自分自身すら柄谷善男という実名で登録しても構わないとすら言いました。けれども西部さんは、柄谷さんの固有名はほかならぬ「柄谷行人」以外あり得ないなどとお世辞を言って柄谷さんのペンネームを認めてしまいました。「柄谷行人」は実は「柄谷『個人』」なのだとか意味不明なことも言っていました。そういうことは実におめでたいご都合主義であったと思いますが、まあそれはいいでしょう。

それから、取引履歴がすべて公開されてしまいます。幾らの地域貨幣を取引したのかという金額だけではなく、どのような取引をしたのかという具体的な内容も事実を誠実に記してQのソフトウェアで他の会員全体に公開しなければならない、というのが西部さんの信念でした。重要なのはLETSを考案したマイケル・リントン自身は少しもそう考えなかったし、むしろ西部さんのような考えを否定したということです。地域貨幣であれば、LETSであれば、Qのように全てを公開してプライヴァシーをなくしてしまわなければならないなどということはまったくないのです。それはLETSが原理的にそうだということではなくて、西部さんの個人的な考えでしかないのです。合理的な根拠はありません。

例えば、人間だからついポルノを買ってしまう、というようなことだってあるでしょう。でもQでは許されません。許されるかもしれませんが、全会員にその取引履歴が公開されるので、恥を掻いてしまいます。最初柄谷さんはそれでまったく構わないと考えていました。けれども自分自身が実際にQを使ってみてそういうことでは困ると思うようになりました。例えば、柄谷さんは彼の奥さんと、確か「肩叩き」だったでしょうか、Qの取引を試してみましたが、そのことはQのソフトウェアに記録され他人から丸見えになってしまいます。彼はそのようなことは堪えがたいほど恥ずかしい、と感じるようになりました。そしてQで熱心に取引するのに抵抗感がないのは、露出狂のような恥を知らない人々だけだと考えるようになりました。なるほどそれはその通りであったかもしれません。

さて、マイケル・リントンが自分の母親はQに入らないといったのは、それだけが理由ではありません。彼は、そもそもLETSをインターネットで取引できるように改良するというような考えに反対であり、そういうことに現実的な意味があるとは思わなかったのです。私はその点に関してリントンの意見には説得的な根拠が十二分にあると思います。

リントン自身はLETSをインターネットで決済できるようにするというようなことではなく、彼自身の考案した「スマートカード」に搭載したいという考えでした。「スマートカード」はクレジットカードのようなものですが、そこに数十種類ものLETSを搭載することができ、簡単に取引できます。多分リントンは「スマートカード」を実現したと思いますが、私の知る限り日本には入ってきていません。それともし、リントンが現在の日本の経済状況の実態を知る機会があれば、彼は必ず携帯で決済できるようなシステムを考えたと思います。

リントンがいうようにQには問題があるということは、私自身が熱心にQ普及に努力してみてよく分かりました。例えば、ナマケモノ倶楽部のカフェスローはQに入ってくれました。けれどもそれは、はっきりいえば、ナマケモノ倶楽部やカフェスローの心優しい人々がNAMの我々に義理を感じてくれたというだけのことだったのです。実際にはカフェスローでQを取引できるようにするというようなことは、カフェスローの店長やスタッフも、QやNAM側の我々も相当苦労しました。そしてそのような実態を西部さんは少しも知らなかったし、知るつもりもなかったのです。私は、Qに問題があったということよりも、そのことに気付かないし、私が彼に会って指摘しても理解するつもりがまったくなかった西部さんが問題であったと思います。

簡単にいえば、どんな商店や会社であれ、レジのそばにノートパソコンを置いていちいちQのソフトを開いて取引のたびに決済するなどということは、余りに煩瑣でできません。また、地域貨幣で取引した部分をどう会計処理すればいいのかという実務も不明です。そのようなことにカフェスローも困ったし、我々も困りました。けれども西部さんはそういうことに何も興味関心がないので少しも困らなかったのです。けれども、問題が現実にあるのにそれに困らないし驚かない西部さんというのは、一体何だったのでしょうか。

NAMやQの我々が連続的に開催していた地域通貨の交換市、Tokyo Qool Cafeというものがありましたが、それだって西部さんにいわせれば、君達が勝手にやったことで自分の知ったことではない、などということになってしまうのでしょう。そのTokyo Qool Cafeの3回目だったと思いますが、私は西部さんに直接、自分の感じている疑問、困難、問題点を訴えたことがあります。けれども彼から応答はなかったし、彼には私が話したような問題への興味関心がまったくありませんでした。私が話した問題なり困難というのは、簡単にいえば、現在のQは例えば自分の地元の商店街に勧めたり普及したりできるようなものではない、実用に耐えない、というようなことでしたが、Qは「地域」貨幣と名乗っていても具体的な「地域」をまったく欠いていたのです。それは極めて抽象的なものでした。私はそのことを問題だと思ったし危機的だと感じましたが、けれども当時Qの代表であった西部さんは少しもそのようには考えなかったということなのです。