近況アップデート

ただ、完璧に合理的であるような哲学というのは、私の知る限り存在しません。もしかしたらラッセルがそうかもしれませんが、彼は頻繁に立場や主張を変更しており、最終的な哲学体系というものはないと思います。サルトルの『存在と無』は合理的であろうと努力していると思いますが、けれどもそれは、読者がサルトルの暗黙の哲学的諸前提を受け容れるならば合理的なものに映るだろうというようなものです。例えば、「即自存在」「対自存在」「対他存在」といった範疇自体を受け入れないならば、その読者にとって『存在と無』の議論総体が無意味です。