after

話は変わりますが、柄谷さんにしても最近の壮大であるけれども大味な(私はそう感じます)もろもろの論考よりも、昔書いていたもののほうが面白かったのではないでしょうか。もちろん彼自身がそう考えたようにソ連崩壊でもはやアイロニーとしての価値すら失ったのかもしれないし、それにゲーデルの使い方が妥当なのか(「知の欺瞞」(ソーカル)ではないのか)という疑問もあります。浅田彰クラインの壺という話が妥当なのか、ということに山形浩生が執拗にこだわって追及していたこともありましたね。ただ、山形が言っていたり訳しているもののなかにはとんでもない暴論があります。

全くテキストをろくに読んでいないバカな批判だとしか思いませんが、フーコーが晩年に古代ギリシャに遡行したのは、同性愛のセックスがやりまくりのユートピアを妄想したからだ、などということを言っている人を、山形がプロジェクト・グーテンベルクで翻訳していたりもします。晩年のフーコーが妥当かどうか別にして、そういうテキストを読む姿勢が見られない滅茶苦茶な人格誹謗のようなものを翻訳してウェッブに掲載する意味があるのでしょうか。もし読者が、そういう破綻した論理を信じてしまったら、山形は責任を取るのでしょうか。

柄谷さんに戻れば、「鏡と写真装置」とか面白い、鋭いと思いました。『マルクスその可能性の中心』にしても、最近の(『可能なるコミュニズム』以降の)壮大で大雑把な話ではなく、それなりに知的刺激があったと思います。けれども、彼は変わってしまったのです。

一般に、『内省と遡行』、『隠喩としての建築』、『終焉をめぐって』は面白かったと思います。『探究』の1と2は、実は私はそれほど面白いと思いません。彼がデカルトスピノザ、カント、ウィトゲンシュタインなどについて言っていることが妥当だと考えないからです。しかしそれはただ単に、私が哲学おたくであるからそういうふうに感じるだけかもしれません。多くの人は、仮に厳密な議論とはいえなくても、読み飛ばすし、かえってそういうものを喜んだり楽しむものなのかもしれません。

物語批判などといいますが、柄谷さんは自分の知的軌跡について、実に都合が良い「物語」を捏造してきただけでしょう。つまり、「建築への意志」をもって「形式化」を徹底した(ゲーデル問題)。その結果、病気、神秘主義になってしまった。それで、ゲーデルを内側から自壊させるのではなく、外側から攻撃することにした。その過程で、「この私」の単独性とか相対的な他者などの存在を見出した、というようなことですが、そのような余りにも奇麗事な自己理解は疑う必要があります。

批評家は自分が転向したことを認めたがりません。晩年の吉本隆明は堂々と『わが転向』などと言ってしまったわけですが、しかしその彼も、若い頃は、「転位のための十篇」などと書いていたわけです。柄谷さんにしても、「転位」ではなかったと思いますが、「転回」だったかもしれませんが、何か「転向」とは違った表現をしていたと記憶します。けれども、どんな表現を使おうと関係なく、立場が変わってしまったということだけは事実です。

柄谷さんはニーチェのように詩的に語らない、あくまでも明晰に語るのだと主張していましたが、結局『探究』で後期ウィトゲンシュタインを導入してしまったのだから、同じことではないでしょうか。詩的ではないかもしれませんが、ロジカルではありません。

私が好きなのは、現在のような自称「世界的な思想家」になってしまう前の、もっと地味で地道であった頃の若い柄谷さんが書いたものです。講談社文芸文庫から出ている、『畏怖する人間』、『意味という病』です。これは後年のように哲学的でもロジカルでもなく、ただ単に普通の文芸批評ですが、そこがむしろいい、と思います。

最近柄谷さんは『近代文学の終わり』などを出版してしまったわけですが、そもそも『反文学論』(講談社学術文庫)の辺りから、日本の現代の文学の表現のありようが、理由は分かりませんが、はっきりと変わってきているのを感じていたのではないでしょうか。そして数十年経過して、最終的に「終わった」と結論したということです。そうはいっても、柄谷さんが何をどう言おうと無数の作家が日々作品を書いている事実に変わりはありません。

すぐに思いつくのは、村上龍村上春樹の出現が大きな転機であったということです。でも彼らだけではありません。吉本ばなな島田雅彦高橋源一郎など無数の新しい作家が出現していました。それによって従来の「内面」的な近代文学、近代(明治以降)の文学は確かに終わった、或いは少なくとも変わった、のかもしれません。

中上健次にしても、晩年の『讃歌』などは良かれ悪しかれ、『枯木灘』のようなものとは違ってきてしまっています。題材も文体も何もかも違います。柄谷さんの表現でいえば、「路地」の消滅ということでしょうが、それも世界資本主義の全面化と切り離して考えることはできないでしょう。つまり作家が「根拠地」(大江健三郎)にできるような特権的な場所がなくなったということです。大江健三郎にとっての四国の谷間の村、中上健次にとっての「路地」がなくなったということです。島田雅彦は「郊外」などといって文学を可能にする「場所」を確保しようとしています。けれども私の見るところ、それには相当の無理があると思います。

島田雅彦中上健次が死んだ後、中上のように振る舞おうとしているふしがありますが、けれどもそれは無理でしょう。外面的な行為だけ真似たところでどうにもなるものでもない、と思います。例えば若い作家で、島田から暴言を言われて怨恨を持ってしまった、というような人がいます。島田雅彦については、そんなに無頼を気取らなくてもいいのにな、彼はもともとそういう人ではなかったのだし、と思います。

(投稿しましたが反映されないのでもう一度)島田雅彦は、中上健次の死後、文壇において中上のように振る舞おうとしているふしがありますが、それは無理だと思います。例えばフーコーの死後、フーコーが死んだから自分がフーコーの役割をやろう、とか考えてしまった人がもし誰かいれば、それは単に滑稽ということでしょう。同じように島田雅彦にも中上健次の代理はできません。する必要もないのです。酒で問題を起こしたり、誰かを罵倒したりなどして「無頼」を気取る必要はないのです。なぜなら彼はもともとそういうタイプの作家では全くなかったのですから。例えば、最近、島田雅彦からひどいことを言われて傷付いてしまい、怨恨を抱いてしまったというような若い作家がいます。私の考えではそのようなことは必要がないし、またなんの意味もないのです。島田雅彦の「郊外」が中上健次の「路地」であり得ないのと同様、島田雅彦中上健次の代理はできないのです。