道徳的狂気

鎌田哲哉が『社会評論』で私を非難しているのですが、私がはてなダイアリーで反批判すると、鎌田はそのこと自体が私の売名行為だとかいって批判してくるので困ります。「鎌田哲哉」でインターネット検索して私のブログに辿り着く人々がいるから売名行為なのだという理屈です。でもそんなことを言われたらおおっぴらに反批判もできないのでとても困ります。というか、どうして自分が鎌田から罵倒されなければならないのかさっぱり分かりません。私は大学で教えていないし、著書も出版していないし、フリーター労組もとっくの昔にやめたので一切社会運動・公的活動をしていないし、なのになんで「フリーター右派」などと批判される必要があるのでしょう。単にすごく困ってしまいます。鎌田は昔、攝津に関わらないというのは私の人権だ、などと言いましたが、今同じことを彼に言いたいです。私は孤独にひっそり、こっそりと生きていて、FacebookmixiはてなダイアリーTwitterを更新するだけが楽しみなのですが、それが何か公的な批判に値するのでしょうか。さっぱり分かりません。

鎌田さんは杉田俊介をやっつけるというか全否定していましたが、杉田君は鎌田さんに尊敬の念や愛情、関心があるのでつい、鎌田さんに関わろうとしてしまい、その結果「ストーカー」とか罵倒されてしまうわけですが、そのついでに攝津もやっつけておこうというのは単にとばっちりで迷惑です。はっきりいって鎌田さんと杉田君の愛憎とか怨念だとかは私には全く関係がないのです。Qのことで非難されるならそれもしょうがないでしょうが、もはやそういうことですらなく、私の全人格と全人生の否定、そして感情的で理不尽な罵倒以外なにもないのです。そういうことは迷惑だし困ります。

鎌田さんは中野重治とかが好きなので、よく中野を援用して、公憤と私怨は違う、などというわけですが、彼の「怒りの批評」なるもの(よく知りませんし興味ないですが)が私のような一私人に向けて爆発するというのは、それは「公憤」なんでしょうか。ただの弱い者いじめなのではないでしょうか。そういうからといって私は自分がとりたてて弱者だと思いませんが、ただ単に、鎌田さんが今やっている言論は横暴で残酷で筋も通らない滅茶苦茶なものなのだと言いたいだけです。

鎌田さんが有島武郎を論じたり、柄谷さんを批判しても別に良かったと思います。けれども彼は自分に関係した人全員を滅茶苦茶に罵倒するようになってしまいました。例外は一人もありません。残った数少ないQ管理運営委員も全員鎌田さんに罵倒、人格誹謗されてやめてしまいました。遂にはQを創設した西部忠さえも罵倒して追い出してしまった。特に良くないのは彼がQ管理運営委員会のMLで書いた人格誹謗メール(三木さんという精神科医と石黒さんという人を罵倒している)を勝手に「重力」のウェッブサイトで公開していることです。そのように自分自身がQを破壊しまくっている鎌田さんが、「Qのために」何か働いている、貢献しているなどといえるのでしょうか。

「岡山人民映画会」のウェッブで鎌田さんが展開しているロジックも滅茶苦茶です。「反原発派は電気を使うな」、「貧困といっても今日食う飯はあるのだろう」、「Twitterをやっている奴は蛙」とかです。私はこういうものが正義だなどとは思いません。ただの道徳的狂気です。

そもそもQ-NAM問題やNAM一般を総括するという『重力03』を出すという約束を十年間、果たさずに(果たせずに)自分自身の真の義務なり使命を放棄しているのは鎌田さんのほうです。私はできる限りの協力、情報提供ならやったのです。私の書いた原稿、『Q-NAM問題』を彼らが没にした、とかいうことは別にいいでしょう。私としても出来の良い分析だなどとは考えません(そもそもそれは私自身の考えですらなく、ほとんど鎌田さんや西部さんの考えなのです。普段加筆修正や推敲しない私が、この原稿に限っては数限りなく推敲し修正したのは彼らの意向を汲んだからです。ところがそうすると、鎌田さんは「俺の言うことに従うな」と無理難題を言ってきました。一体彼は私にどうしろと言いたかったのでしょうか)。しかし、私は、ありとあらゆる資料を提供したのです。NAMのあらゆるメーリングリストの記録に限りません。一般には流布していない柄谷さんの『Lの理論』なども提供しました。私のクラッシュしたパソコンに入っていたデータ(柄谷さんの私信、「絶交メール」等)も業者に取り出して貰って提供しました。その修復費用は『重力』側が負担しましたが、『重力03』に使うための情報や資料を取り出す目的であったのだからそれは当然でしょう。ところがそのようなことをやったにも関わらず遂に『重力03』が出なかったのはもう、私のせい、私の責任などではなく、鎌田さんなり『重力』誌の側の問題、責任と言うしかないでしょう。どういう事情があったのか知りません。商業的に成り立たないのか、柄谷さんからの圧力があったのか、そういうことは分かりません。けれども事実は一つであり、それは鎌田さんが『重力03』を出せなかったし、出すことを断念してしまい、その使命や義務を放擲して今「岡山人民映画会」でありとあらゆる他人を罵倒しているのだということです。

NAMが作られた頃、鎌田さんは文芸誌で、『NAMへの自立、NAMからの自立』とかいう題名の偉そうな連載をしていました。けれども事実を指摘すれば、彼がNAMに入らなかったのは別にNAMや柄谷さんから「自立」していたなどということではありませんでした。

鎌田さんはそもそも山城さんらとともにNAM設立準備会に入っていました。その彼がNAMに入らなかったのは実にくだらない経緯からなのです。つまり、誰かが鎌田さんを会合に呼び出しました。ところが鎌田さんは、俺は友達と花見に行く約束をしていた、俺にはそちらのほうが大事なのだ、俺の自由や人権を侵害するのか、などと激怒してやめてしまった、ただそれだけの馬鹿げたことなのです。NAMや柄谷からの「自立」などは後付けで言っているだけのことなのです。会合に招かれたことで、友人との花見を邪魔されたのが不快でやめる、などというのはただ単にどうしようもない我儘というべきなのではないでしょうか。

蛭田さんという人がいます。彼が柄谷さんとか鎌田さんが参加する『批評空間』誌のシンポジウムに行きました。それで休憩中に、偶然(本当に、全くの偶然です)男子トイレで鎌田さんとすれ違ったそうです。そのことに、鎌田さんは、俺をつけ回している、ストーカーだ、などと関係妄想、被害妄想を抱いてしまいました。それで、鎌田さんは蛭田さんを罵倒する長文の手紙を書いて蛭田さんと絶交してしまったのです。私は蛭田さんからその手紙を見せてもらったことがありますが、確かに他人には読解不明、意味が不明でした。

失敗しましたが、私がCafe LETSというフェアトレードショップをやろうとしたことがあります。『重力』も協力してくれるはずでした。最終的には実現しませんでしたが、或る時、私の友達が共同経営者になってあげようかという話があったのです。そのことに鎌田さんは、話が違うと激怒してきました。攝津さんが自分一人で責任を負うから協力すると言ったのであって、それが変わるならばもう協力できないなどと言ってきたのです。私は弁明に追われました。けれどもどうして鎌田さんや『重力』が、私の店の経営にまで干渉する権利があるのでしょうか。

鎌田さんは出版された『Left alone 構想と批判』でも蛭田さんを実名で罵倒していますが、実にくだらないことなのです。鎌田さんらの講演だかの原稿を蛭田さんが校正しました。そのとき、蛭田さんは、正しくは「探求」であるべきところを「探究」と間違えてしまいました。それはただそれだけのことで、そういううっかりミスは誰にもあることであるのに、鎌田さんはそれが蛭田さんの無意識的な柄谷さんへの依存心を表している(何故なら柄谷さんの主著の題名が『探究』だから)、と口を極めて非難しました。さらにひどいのは、蛭田さんのことを、この老人、ここまで他人に依存してまで長生きしたいのだろうか、などということまで書いたのです。鎌田さんは壮年だからなるほどまだ「老人」ではないかもしれません。しかし、自分が老人でないからといって、人にそれだけ残酷なことを言って許されるのでしょうか。

それから、例えば紛争の最中にパソコンがクラッシュするとします。普通の人はそれは不可抗力と考えます。ところが、鎌田さんはそう考えません。そのようなことさえも、無意識的な逃避なのであり、その人自身に責任があるのだ、というような考えです。私はそういう思想が合理的だとかまともだとは思いません。本人はフロイト的なつもり(『日常生活の精神病理学』のような、「偶然」の否定)なのですが、内実は全く違うものです。ただのオカルトです。

私が読む限り、フロイトの失錯行為(しくじり行為)の分析からそのような道徳的狂気が導き出されてしまうなどということは普通あり得ません。鎌田さんの読解がおかしいのだと考えます。

そのような理不尽なことに、それこそ私のほうで怒りが爆発してしまうとしても、それはもう致し方がないのではないでしょうか。鎌田さんや『重力』と絶縁したのも、彼と関係していた期間、ほぼ週に一回の割合で「お前は人間の屑だ」とかいう人格罵倒、人格否定のメールが来るのがもう私の忍耐能力を超過してしまったということです。鎌田さんからの最後のメールも、攝津さん、あなたはやはり人間の屑です、というような文面でした。そういう人と信頼関係を構築することなど誰にできるというのでしょうか。

私が彼(『重力』)に情報を提供したのは、それが自分にできるせめてものことだと思ったからです。私自身分析(『Q-NAM問題』)を書きましたが、それはくだらなかったし、ウェッブからも消滅してしまいました。元の原稿すら残っていません。それで良かったと思います。私は自分の言論が残るとか読まれることに意味を見出しません。ただ、私の資料を鎌田さんが活用できなかったというのは残念で仕方がありません。それはもう私の問題ではなく彼のほうの、或いは『重力』サイドの問題でしょう。私は『重力』誌の同人になったり編集サイドに加わったわけでもなく、自分としてできることはなにもなかったのです。