想い出話

滝不動尊まで御参りに行きました。死者達の冥福を祈りました。

さて、つまらない想い出話です。

NAMの末期に、「NAM抜本的改革委員会」が作られました。それはNAMの解体的危機に際して、Qを巡って対立してNAMをやめてしまったふたりの重要な人物、つまり湯本さんと岡崎さんを呼び戻して、NAMを再生させようとしたものです。もちろんその努力は実らず、NAMは解散してしまったわけですが。

私は別にNAMの幹部ではないので、抜本的改革委員会のメンバーではありませんでしたが、しかしNAMの規則で、そのメーリングリストを読むことができました。だから読んでいたのですが、奇妙なことがありました。

NAMの副代表で法律家の柳原さんが突然、まったく前後の文脈と関係がないおかしな話を唐突に始めたのです。それはこういうことでした。

昔柄谷さんは、リストラされて自殺してしまう中高年のサラリーマンが非常に多いけれども、何故自殺してしまうのだろう、僕(=柄谷さん)だったら、自殺するくらいなら経営者(社長)を刺し殺すけれども、というような過激なことを書いていたけれども、そういうラディカルな発想が必要だ、とか柳原さんは書いていたのです。

それはもちろん、他の人々の投稿からは浮いていたし、唐突な話だったから奇妙だったのですが、ではどうして、柳原さんがそのような話をしたのでしょうか。

個人的な意見ですが、それは彼が私の殺意に気が付いていたからだと思います。別に当時、彼と話していたわけではありません。それでも、そのような感情は自然に分かってしまうものだと思います。当時、私は柳原さんと非常に親しかったのですから。

というのも、当時浅輪さんが主導していたNAMの抜本的改革なるものが具体的にはどういうことかというと、それまでNAMで官僚として働いていた人々に「官僚主義的」などという言い掛かりをつけてリストラしてしまう、というような話だったからです。けれども私は非常に疑問に感じます。

柄谷さんが勝手に独断で自分の「Qは終わった」をNAMのウェッブサイトに掲載してしまったから、我々事務局がそれを削除したからといって、それが官僚主義などという非難に値するのでしょうか。私は今でも自分が間違っていたなどと思いません。そのような理由で官僚主義的だなどといって我々をリストラしてしまうのだとしたら、それは余りにも身勝手です。ましてや当時柄谷さんは別にNAMの主要な役職のどれにも就いていないのです。そんなバカなことが罷り通っていいのでしょうか。

とはいえ、NAMに官僚主義がなかったわけではありません。例えば柳原さんは、法律家、弁護士であり、ありとあらゆる日本の法律体系を知悉していましたから、憲法、刑法、民法会社法などあらゆる法律を参考にして、気が遠くなるほど膨大で詳細なNAMの規約を書こうとしていました。彼はそのプランを既に立て、構想も練っていました。けれども突然、自分のそうした熱意や努力にはなんの意味もないのだと気付いてしまったのです。なぜなら別にNAMは国家ではないし、「○○省」などを無数に作っていたオウムと違って、自らが国家になろうとしていたわけでもなかったからです。柳原さんはだから、自分の構想の誤謬に気付き、その規約草案を破棄、撤回し、そしてNAMの解散に同意したのです。

もちろんそのような柳原さんは非常に誠実で善意の人です。だからこそ今彼は、福島疎開裁判などをやっているのです。それは素晴らしいことだと思います。ただ私が現在、彼に連絡したり協力したいという気持ちにどうしてもなれないのは、善意によってはどうにもならないことがあるというのがNAMの残した唯一の教訓であると思っているからです。