NAMは何故失敗したか

さて、共産主義者団体(「党」ではない)NAMが何故失敗したのかを考えてみたい。簡単にいえば、「協同組合企業を立ち上げることが出来なかった」「地域通貨が広がらなかった」ことが敗因である。
正確に言えば、一つ、協同組合企業を立ち上げている。批評空間社がそれである。しかし不幸なことに、社長の内藤裕治が37歳の若さで癌で亡くなる(http://www.47news.jp/CN/200205/CN2002052001000280.html)。そして批評空間社は、組合員の反対にも関わらず、解散してしまう。
地域通貨は、日本初のオンラインLETSとして「Q」を立ち上げたのだが、Q管理運営委員会の運営(経営)を巡って委員会内部で、またNAM内部で抗争が激化した。そして柄谷行人が率先して、Qを民事告訴すると恫喝を行ったり、それに同調するNAM会員が出たりした。それが2002年の終わり頃だったと記憶している。そして2003年に、正式にNAMは解散した。Qは存続したが、どうももろもろの困難を抱えているようである。その一つが元代表西部忠と監査委員の鎌田哲哉の確執である。それについては詳しく知らないし、ここでこれ以上語る必要もあるまい。
ともあれ、「協同組合」「地域通貨」の二本柱でそれぞれ躓いてしまい、NAMは解体してしまった。NAM解散後、会員らがもろもろの活動をしたが、余り実りはないようである。というか、私自身いろいろやったが、成果といえるような成果はなかった。柄谷行人は純粋に理論的な立場に戻り、『世界共和国へ』『世界史の構造』を刊行した。