雑感
私は近代文学に関しては、無知・無教養を自覚しているし、恥じてもいる。例えば私には、透谷のことがよく分からない(のみならず大多数の文学者に関してそうだ)。偏った読み方をしてきたと思うし、勝手な読みをしているだろうな、とは自覚している。
が、教養がないからまるで駄目だ、とも思わない。例えば、アート・テイタムを聴いて、彼には敵わないとショックを受けピアノを辞める人というのも沢山いる。また中村絃子の回想(『チャイコフスキー・コンクール』)によると、ホロヴィッツの演奏を聴いた音大生が、彼の強烈な強弱の付け方や崩し方を下手に模倣し自滅していったというが、それもよく分かる。けれど、テイタムやホロヴィッツになれないからといって、音楽を辞めないといけないのだろうか。私は全くそうは思わない。
デカルト、カント、ヘーゲル、フッサール、ハイデガーら大哲学者がいるから、自分でものを考えることはできないとは思わない。歴史的な文脈を踏まえるべきだろうが、別に思考は自由だと思う。
ちょっと中途半端になったが、一旦ここで書き込む。
チャイコフスキー・コンクール―ピアニストが聴く現代 (中公文庫)
- 作者: 中村紘子
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