哲学に関する雑感

私は早稲田大学の大学院(文学研究科)の修士課程で挫折したが、それは当然だったと思う。語学に関しては、中学・高校の頃英語嫌いで、大学入試の時えらく苦労したので、大学入学後はフランス語を熱心に勉強した。が、結局フランス語が自由に読み書きできるようにはならなかった。勿論会話も駄目である。

院に進んでからは、ドイツ語・ラテン語・古典ギリシャ語にも挑戦したが、全くものにならなかった。原書を沢山買ったり、図書館でコピーしたりしたが、全く読み進められず、そのことが精神的な負担や圧迫になっていた。

修士論文の口頭試問で、ドゥルーズの『差異と反復』の訳者である財津理に「詐欺師!」と面罵されたのも、語学ができないからである。私は、『ベルクソニズム』に関しては、自分で訳し直したが、宇波彰の誤訳に気付かずそれを踏襲してしまった箇所があったらしく、そのことを粘着的に嫌味を言われた記憶がある。

ともかく、私は全く駄目な学生・研究者(崩れ)だった。厭なことだし不快だが、それを認めないわけにはいかない。哲学に関しては、基本的な哲学史は了解しているものの、細部なりになると分からない。例えば自分で自分の哲学史的知識の限界と感じているのは、シェリング哲学を全く知らないことである。シェリングは、中公の世界の名著に翻訳があるくらいで、ほとんど邦訳がない。ドイツ語が読めない私は、だから、シェリングのことをほとんど知らないのである。が、ヘーゲルヘーゲル批判を考える上では、シェリング哲学の理解は必須だろう。そういう点でも、限界を感じている。フィヒテに関しては、全集のようなものが刊行され始めているが、地元の図書館で申し込んでいるのにいつまで経っても送られてこない。

差異と反復

差異と反復

これと、これ。

ベルクソンの哲学 (叢書・ウニベルシタス)

ベルクソンの哲学 (叢書・ウニベルシタス)