考える・話す・書く

マイミク・でぶさん(本物のマルクス研究者)の日記http://mixi.jp/view_diary.pl?id=447820102&owner_id=561907について。言われていることは、一般的には正しいと思う。けれども、思考=哲学なのか? 別に哲学体系の構築を目指さず、勝手に考えてもいいのでは?

歴史の理解と現在の実践の関係について、音楽においても悩ましい関係があると思う。過去の伝統の参照なしに、いきなりオリジナルなものを創造することは恐らく誰にもできない。が、過去の偉人の模倣に終始するなら不毛だろうし、そもそもその過去の人を直接聴けばいいのではという当然の疑問が生じる。

私は、哲学のアカデミックな研究はクラシックに、在野の批評はジャズに近いのではと考えたことがある。クラシックに近いやり方とは、例えばヘーゲルならヘーゲルのテキストを原語=ドイツ語で詳細に読解していくといったやり方である。批評とは、例えば或る種図式化された弁証法を様々な現実の事象に応用・適用していくようなやり方である。

クラシックの楽譜では、勿論右手と左手と別々に全て指定されている。しかるにバークリー・メソッドと呼ばれる記譜法においては、左手部分はコードネーム表記に簡素化されている。それがクラシックとジャズという対比の意味である。バッハならバッハ、ベートーヴェンならベートーヴェンのテキストの精密な読みを目指すのか、或る形式に基づいた自由な変奏を目指すのか、という違いと言い換えてもいい。私は、同様のことが哲学なり文学にもいえるのではないか、と考えるのだ。