分析

フェリックス・ガタリ『カオスモーズ』

カオスモーズ作者: F・ガタリ,宮林寛,小沢秋広出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/01/11メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 14回この商品を含むブログ (22件) を見る

雑談

意味や無意識は、「発見」されるべきものではなく、「発明」され「創造」されるべきものです。これがドゥルーズ=ガタリ的でニーチェ的な立場のぼくの最初の発言です。無意識の大陸とは主観性の領域であり、複数のアジャンスマン(アレンジメント)の場です…

精神分析への疑惑

以下の本でもそうだが、精神分析は急進的な政治活動家の言説をヒステリーの語りと位置づける。そのことに疑問を感じる。端的に論理とか正義を追求すべきであり、人の足元を見たり痛くもない腹を探るようなやり口は辞めるべきではないのか。ラカンの精神分析 …

主観性/主体感 subjectiviteの生産

ドゥルーズにとって意味が生産されるべきものであったのと同じように、ガタリにとって主観性/主体感は生産されるべきものだった。平たく言えば、われわれの生をそれとして規定している習慣の束は不断に組み替えられるものとして考えられていたわけである。新…

制度改編派精神療法

ガタリのキーワードリンクから辿っていったが、面白そうな予感。詳細を読む。

倫理?

ガタリがわれわれに語っていたのは、西洋では新しいものではないかと私には思える。それは存在論的な責任というテーマであるが、これはけっして他者と向き合う個人状の主体が持つべき責任ではない。そうではなくて、われわれ自身の行為に対する、われわれ自…