雑談

意味や無意識は、「発見」されるべきものではなく、「発明」され「創造」されるべきものです。これがドゥルーズ=ガタリ的でニーチェ的な立場のぼくの最初の発言です。無意識の大陸とは主観性の領域であり、複数のアジャンスマン(アレンジメント)の場です。言表はここから生まれてきます。人それぞれにアジャンスマン(アレンジメント)は特異です。人はそれぞれ、個人的神話と個人的コンプレックスを持っています。オイディプス・コンプレックスや去勢コンプレックスの優位や普遍性はないわけです。文化によって違うし、人それぞれによって違います。

問題はこの機械がどういう表現を生産できるか、にかかっています。無意識=機械。人は言葉を喋る存在だというなら、ではどんな言葉を喋るのか。その人が喋る言葉はその人に特異なはずです。それを聴き取り、そこから分岐と新たな世界の創出に向かうこと。スキゾ分析の使命はそこにしかありません。