エリントンの廉価盤10枚組

おはよう。今日は5月1日で、世間的には労働者の祭典=メーデーであるようだが、ぼくには関係がない。昨日やり残したメール便タウン紙の配達、御滝不動尊への月例のお詣り、お茶屋さんでの詰め放題のお茶の購入など用事が沢山ある。二和東6丁目のポスティング850枚も期限は明日までである。メール便は今日は今日でまた新たに荷物が来るし・・・。そういうわけで、もうすぐ6時だから降りてピアノを弾いて、7時頃から配達に行こうと思っていたが、どうやら一時止んでいた雨が再び降ってきている音が窓の外から聞こえる。仕方がないね。のんびり風呂でも沸かして空模様を眺めるか。

昨晩はUstream放送を終えて割合すぐにぐっすり眠り込み、5時くらいに目が醒めた。デューク・エリントンの廉価盤の10枚組CDのどれか後半を適当に流している。7枚目か8枚目だが、今ちょうど『昔は良かったね』が流れている。いい曲だ。

暇だし雑談として適当に書き流せば、ぼくはこれまでエリントンの良いリスナーではなかった。よくありがちなジャズファンのようにモダン・ジャズ以降をよく聴いていたし、また、ピアノものを偏愛していたからだが、エリントンやベイシーのビッグ・バンド、オーケストラもいいなあと思うようになってきた。まあ何しろ長く生きているので、いつまでも中学生、高校生の頃聴いていたものと同じものばかり聴いていても退屈だからということだが、クラシックでもピアノ独奏曲やピアノ協奏曲ではなく交響曲の類いもYouTubeで沢山聴いている。YouTubeでというのはシンフォニーや管弦楽曲のCDはあまり持っていないからだが・・・。

それから読書といってもこのところ昔読んだ漫画を読み返すことが多くて、政治・経済や社会科学、社会科学への関心は薄れてきているが(自然科学方面への関心は最初からない)、テレビと漫画漬けとかだらしがないとかあれこれ揶揄されても致し方のないところである。小説といっても古典というよりは吉本ばななの初期とか読んでるしね。ほかにも読みたいものもあるのだが・・・。評論は小林秀雄吉本隆明をよく読んでおり、これまた20年前と同じで進歩がない。読み方も特に深まったとか理解が進んだという感じもしない。いやはや全く不勉強でして。

あまり関心がないとか関わり合いになりたくないと言いながらつい書いてしまうが、昨日Twitterの検索で「反富裕」についての賛否のツイートをあれこれチェックして憂鬱になったが、「富裕」が好きかどうかで乗れるか乗れないかというリトマス試験紙というか試金石になってしまうのだという。ぼくは元々自由と生存のメーデーには参加するつもりはないが、それはともかくそのことだけでも「反富裕」には賛同できませんね。富裕は好きだからね。それから新自由主義に反対するとかしないというよりも、もっと根本的に「反資本主義」であるそうだが、格差というよりも階級関係を根本的に廃絶したいというのはわかりますが、「反資本主義」というならば赤い豚さんのおっしゃるように、富裕層や大企業の財産は没収するという「社会主義経済政策化路線」「社会主義革命」なのか、『アナーキー・イン・ニッポン』のFAQが触れていたようなアナキスト経済なのか。グレーバーのいうような贈与? アソシエーションとかアソシアシオンとかいうアレの協同組合経済? 個人的にはそういうものに希望を託す気持ちにはなれないね。「信薄きものども」といわれるかもしれませんが、「信」なんてものは最初から最後までありませんからね。そこが数ヶ月前に木下尚江研究の近代日本のキリスト教/女性/社会主義研究の先生からブロックされた原因であるようだが、ないものはないんだから致し方がありませんね。まあ、ぼくはディレッタントというかエゴイストというか、とにかく個人主義者でニヒリストで。「私は○○です」という表明ほど疑わしいものはないわけだが、それはそうとしてもですよ。

哲学の類いは、やはり精読では全くないがこのところショーペンハウアーをよく読んでいる。けれども彼の体系をしっかり把握するという感じでもない断片的な読み方だなあ。ほかに読みたいものといってもないのだが、敢えていえばフィヒテシェリングとかのドイツ観念論の最近の翻訳を読みたいというくらいかな。どっちにせよ関心はそういう古いものに向かっているね。

現代とか現在といっても、新譜や新刊はほとんど買わないし、余り知らないし興味もそれほどない。『昔は良かったね』ではないが、過去のこれまで親しんだものを繰り返し鑑賞しているという、退嬰的で進歩や向上心がないといえばない。皆無というかね。そういう堕落頽廃した人生の後半戦というか晩年かな。からだの調子もあちこち悪いし、腰も痛いし頭や眼もね。ゆっくり入浴したり体操したり、マッサージしてもらったりいろいろするのだがなかなか良くならない。パソコンだけでなくスマホiPhoneの頻繁なチェック、2ちゃんねるTwitterのチェックは心身の疲労をもたらすというか、眼精疲労というかね。とにかく良くないよ。一銭にもならないしね。無駄な労力だ。だから、自分がやりたいことだけをやってのんびり暮らすべきなんだ。もうすぐ40代に突入するが(来年くらい?)、もう既に十二分に生きてきたのだとはいっても、それでもやはり憂鬱というか、何やってんだとかこれから何をやろうかなみたいな。他人や組織団体と連帯や団結などでつながってはいないわけだし、そうある必要も感じていないが、自分の孤独というか孤立だけをどこまでも大事にしてね。のんびり暮らしていきたいとそれだけを思う。本当にとても反動的な人間だよ。世代論がどうのこうのではなくぼく個人としてね。1975年生まれだが、バブルなんてのは中学生くらいかな。子供だから実質的に関係ないね。で、大学行って大学院行って、その後はたまにバイトしながら実家でのんびりだな。何かこうしたいというのもないし、本を読んだり音楽聴いたり、はたまたピアノ弾いたりね。ネットにあれこれ書くとか。そのくらいかな。非生産的だね。社会的な価値を生み出していないっていうか。誰の役にも立っていませんね。まあ何らかの社会運動とか市民運動などにも無関係だが、それだけでなく一般の労働とか仕事とかもね。大してやってないよね。多少バイトしているとはいえ、それくらい誰でもやってるからね。ろくでもないヤツだということかもしれない。後ろ向きでね。『ポーの一族』のエドガーみたいなさ。「もう、未来へは行かない。過去へ、過去へ帰ろう・・・」みたいなさ。あれはほんとにいい作品だったね。今でも好きだよ。幾ら探しても見当たらないので、『デビルマン』とともにそのうち買い直したいと思ってるんだ。ぼくは自分の価値観や趣味嗜好に忠実というか正直なのでね。正直や率直なんてのが悪いことだと思ったことは一度もないな。

ということでさて、雨足が強くなってきたな。これは困った。

Duke Ellington

Duke Ellington