トンチキの誤訳

フィロソフィーを「知への愛」などと訳すのはトンチキの誤訳である。「血の恐怖」が正しい。際限のない殲滅戦と虐殺。それ以外なにもありはしない。ミュージックを「音楽」などと訳すのも誤訳。「音が苦」が正しい。リテラチャーを「文学」も間違い。

文楽」が正しい。

……とまアそんなことはともかくとしてだ。哲学の正しい定義は数千年前に既にプラトンによって与えられている。「死の練習」というのがそれだ。ブルース・リー風に言えば『死亡遊戯』というヤツだが、我々はプラトンその人やその時代からは遠く離れてしまったが、上述のことだけはなにがあろうと絶対変わらない。それは「いのち」の肯定だとか何だとか、信頼がどうの、愛がどうのなどのクソのように下らない、下劣極まりないことであるはずがない。絶対にない。それはぼくの絶対不動で不変の確信だが、同意されない皆さんはぼくの個人的偏見だということで結構です。では、また。

876 :革命的名無しさん:2014/04/19(土) 02:44:40.14
摂津は哲学を誤解してる。ただの勘違いパー。ここまでアホだと後は路上生活者になるのみ。