冥土めぐり

『冥土めぐり』を読むが、題名から想像したような作品ではなかった。主人公の女性の皮肉な眼差しと虚栄的な母と弟の肖像が面白かったが、私自身も虚栄的である。『1Q84』に手を伸ばし少し読み始めるが、一度に小説を読み過ぎだ、未消化になってしまう、と思い直してやめておく。この大部の小説のエピグラムは"It's Only a Paper Moon"の歌詞から取られている。《ここは見世物の世界/何から何までつくりもの/でも私を信じてくれたなら/すべてが本物になる》。なるほど。ーー話は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に戻るが、気になった細部がある。灰田の父親は学生運動をやめて労働をしながら全国を遍歴するが、大分県の温泉旅館でジャズ・ピアニストの緑川と出会う。緑川は大量の探偵小説を読んでいるが、灰田父は会話してみて彼がプラトンヘーゲルなども系統的に読み込んでいることに気付く。また、音楽の扱いだが、この小説ではラザール・ベルマンが演奏するリストの『巡礼の年』。『1Q84』冒頭ではヤナーチェクの『シンフォニエッタ』だが、緑川の姿は作家本人のありようも示唆している。デビュー以来村上春樹は、アメリカ文学を中心にサブカルチャーやポップに詳しいお洒落な存在と看做されてきた。それに間違いはないだろうが、それだけではないということだし、また、小説家になる前はジャズ喫茶を経営していたし、初期の小説にはしばしばジャズやポピュラー音楽を背景に配置していたために、クラシックや現代音楽などよりはジャズ愛好家だと思われてきた。それもやはり間違いではないだろうが、それだけではないということで、リストの数あるピアノ曲のなかでもそれというのはなかなか憎い選択である。村上の近作に登場する様々な人物やシチュエーションは、知識や文化芸術のいまの日本社会におけるありようについても一定の示唆を与えてくれるもののように思うが、さてどうだろうか。