色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

土曜日に石原慎太郎の『秘祭』を読んだ。いまYouTubeマーラーの3番を聴きながら、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。次に鹿島田真希『冥土めぐり』を、さらにその次に村上春樹1Q84』を読むつもりだ。

小説は小説である。過度に現実に引き付ける読み方は好まない。だが、村上の最新長篇は深い印象を残した。真面目な作家であり、真面目な作品だ。主人公たちの生のありようにも感銘を受けた。

嘘、虚偽ということ……一番興味を惹かれたのはそれである。多崎はシロ、恐らく心を病んでいた彼女から、彼女をレイプしたとの事実に反する告発をされ、親しい友人グループを追放される。村上には以前からこのテーマはあった。いま手元に本がないが、私の記憶が正しければ、『ノルウェイの森』……。そこに女性のピアノ教師が出てくる。彼女は女生徒から誘われてレズビアンの性関係を持つが、その生徒から性的に暴行されたと嘘の告発をされる。潔白を示す方法はない。

真実は大事である。それは可能ならば突き止めなければならない。しかし、そのことによってどうにもならないことも余りにも多過ぎる。小説の読み方としては浅くてつまらないものだが、私はそう思う。そうして私自身のことも思い返して考えてみたが、取り返しのつかぬ仕方で逸されたものが多いその欠落に思いを馳せないわけにもいかなかった。