日本人にとっての「お上」

日本国民、日本の有権者は、自民党にはお灸を据えるだけだが、民主党には死刑を宣告する。その知人の指摘から想い起こすのは、その彼が一昨日だったかおっしゃっていたことである。3.11以降の民主党政権への非難の大合唱や菅降ろし(自民党公明党だけでなく社共などの野党、そして、与党からも一部小沢派など)を見て、日本人が「お上」に従順だとか逆らわないというのはちょっと違って、「自民党政権」には逆らわないということだったのでは、と。僕が想い出したのは、阪神・淡路大震災以後の村山富市政権への評価である。震災当時どうだったかは覚えていないが、その後ネットを見ると、村山氏が社会党だったから、自民党も連立で入っていたとしても社会党首班の内閣だったから国民の生命を救えなかったのだ。という、社会党のみならず左翼へのものすごい非難とバッシングの嵐であった。3.11以降もそういうことがあったのではないか? つまり、保守派の信念というのは、自民党は責任政党である。国民の生命と安全と財産を守るのだ。他方、社会党社民党)・民主党共産党などの左翼は……。というものだろう。逆向きのイデオロギーも存在する。自民党は殺人政党、人殺しだというものだ。中村順氏などが生活保護法改悪策動などに関して、また、改憲策動に関してもそういうことをしばしばおっしゃっているが、僕はそれも極端だと思うのは、そういう中村氏=喜八氏のツイートは、人民新聞などにリツイートされているが、そうすると園良太氏などと一緒にリツイートされているが、政治的、イデオロギー的に「色」がつくとか、一定の勢力としてカテゴライズされるなどはちょっとでも意見を表明すれば致し方がないのだとはいっても、僕などは「中村氏もやはりそういう、そちらの人々なんだな」と思ってしまう。つまり、左翼ではないとしても政府批判のリベラル活動家なのだと。氏は自らや仲間の「いのち」を守るためにそれをやっているのだというが、僕などは根本的な疑問と疑念しか湧いてこないのである。