おはよう、セカイ。
おはよう、セカイ。目が醒めて勇を鼓してやったことといえば……爪を切ること。ワロタ。それはともかく、iPhoneのJangoでSun Raのチャンネルを少し聴くが、流れてきたのはSun Raではなく、ミンガスとモンクだった。今はBranford Marsalis Quartet "Requiem"を聴いている。聴くものが無際限にあるというのは実に素晴らしいことである……。早朝の読書も何かしてみようと考えたが、今のところ何も本を選んでいない。FacebookなどのSNSは難しいが……。Twitterも。私は中々そういうものには慣れない。他人に合わせるのが苦手なのである。そういうわけで、大抵常にgoing my wayだ。目が醒めて暫く考えたが、落ち込む必要はないと。歴史的に考える、または、過去にばかり目を向けて考えるのをやめればいいのである。そうすると、実に暢気で恵まれた生活という現在の事実だけが残る。そのことに感謝すべきではないのか。不平不満を言えばきりがないのだ。こうであればよかった、ああであればよかった、というようなことは……。ないものねだりをしてもしょうがないだろう。そう思うけれども……。今日は夕方にレッスンだが、生徒が増えて欲しいが、チラシを作ろう作ろうといって作っていない。どうしてもアイディアが湧いてこないのである。こういう広告広報戦略で、こうやって宣伝して、こう経営していこう、という意欲が全く湧いてこないのだ。困ったことである。とりあえず、元気が出て来るまで休養したほうがいいな。無理に空元気を出そうとしても……それは無理だ。色々と焦りはあるが……。焦ったところでね。とりあえず、新しいことは考えなくてもいいんじゃないか。昔集めた資料とか、作成した文献リストなどを一つ一つのんびり調べていけばいいだけではないか、とも思える。それ以外にも、何も新奇なことを企てなくてもいいであろう……。そう思うけれどもね。どうなのだろうか。小説を書きたいということについても……のんびり構えていればいいのではないだろうか。何となく憂鬱だし、気が塞ぐけれども……。何も前に進まないというか、生産や構築、形成ができないという思いに駆られる。遥か昔からそうである。それはそうなのだが……。今日は図書館も休館日なので、自宅でゆっくりしていよう。外国語の辞書や文法書も出してきて、少しずつ勉強するとか……。どういえばいいのかね。外国語といっても、私の日常生活で、そういうものを使う機会などないからね。外国人との接点や交流もないし。だから、少し外国語の書籍を読もうとしたり、インターネットくらいだ。英字新聞やフランス語の新聞を購読するのはお金が掛かるから、Yahoo! USAやYahoo! Franceでニュース記事でも眺めていればいいんじゃないかな。無料だし。お手軽だしね。それにまあ、そういうことをしてみたところで……それがどうなるのか、と思うが。私は外国語は苦手である。何か得意なことがあるのか、といわれれば困るが……。苦手なことなら幾らでも挙げられる。その筆頭はスポーツだろう。中学、高校と、体育の時間は非常に厭だった。少しは運動もしたほうがいいのかもしれないが、とにかく苦手だった。球技も短距離走も持久走も、体操も……。それから、数学、理科。政治、経済。何じゃこりゃ、苦手なことだらけじゃないか。ま、そりはそうなんだけどね。世の中には器用な人と不器用な人がいるんだよ。そういうことだと思う……。不器用な人はねえ。あれこれ苦労するよね。器用な人や適応的な人の話を聞くと驚くし、正直羨ましいと思うが、自分がそういうものではないのは致し方がないだろう。そう思うけど……。だから、私は自分は影とか闇の側に身を寄せていたのだ、といつも思うが。non communicativeな闇の領域。恩寵の光も自然の光(=理性)も当たらないような、そういう日陰。それで問題があるとかいけないと思ったことはなかった。私は昔から太陽とか日の光が嫌いだったのだ。子供の頃からだ。今もそうだ。屋外よりも屋内が好きだし、街頭とか路上は嫌いだ……。図書館が好きだ。或いは、自室が。ひきこもり系なのだ。ひきこもりという言葉ができる遥か以前からね。余りあちこちに出て行きたいと思わない。積極的に外出して行動して他人と会って交流するのは疲れるのだ。だから、そういうことはしたくない。したくないから、やらない……。シンプルにそういうことだね。お金もないし。交通費にも事欠く有様だが、だからといって、バイトの一つでもやろうとは思わないのだ。生徒が増えるのを受身に気長に待っている。それだけだ。だがしかし、掛かってくるのは、嫌がらせや冷やかしの電話だけ……。実に嘆かわしいし腹立たしいことだが、それが現実なのだ。2013年の二和向台の現実はそういうものだ。私は外部との接点なく、孤立的に暮らしている。家族や地域住民との対話もない。ネットでも他者と交流することもない。読書し、音楽を聴き……それだけだ。世の中には背を向けている。非常に遠くから間接的に眺めているだけだ。そして、そういうことさえもしないかもしれない。他人と交流するよりは、自足して落ち着いているほうが遥かにましだからだ。私の経験では、積極的に他人と交流しようとして、うまくいった試しはない。前向きになろうとして成功した試しはない。だから、向いていないことややりたくないことはしないほうがいいのだ。手を着けないほうがいい。私はそう思う。人間性は変わらない……。その人の気質は、生涯不変なのである。そうではないのだろうか。