調和した高給取り

お題は「調和した高給取り」。これまた反応に困る。

とりあえず続きを書いていけば、これが小説なのかどうかはぼくには分からない。恐らくどうみても違うだろうが、自分にはこれしかできないから、致し方がないのである。全く変わることができない。脱皮することのできない蛇である。先日、脱皮することのできない蛇は滅びる、というニーチェ箴言有田芳生が引用していたのにはびっくりしたが。

それはともかく、物語がなく、登場人物がおらず、虚構の条件も満たさない。かつてヘンリー・ミラーは彼の『北回帰線』において、あらゆる小説は日記に道を譲るだろう、というエマソンの言葉をエピグラムとして引用していたが、エマソンやミラーは今日のネット社会やブログ、SNS、Twitterなどのことは勿論予測していなかったが、彼らが高度にテクノロジーが発達し、メディア化した現代社会を目撃したらどう考えただろうか。恐らく全肯定ではなかっただろうと思うが。

作り物の虚構作品、小説が、個々人のリアルな生の記録、日記に取って代わられる。それは、今日のメディア社会のような状況ではなかったはずなのだが。だが、そんなことを申し上げても致し方があるまい。

とにかく、今日の技術的で唯物的な条件のもとで、ぼくは無意味にものを書いているのである。ありとあらゆる意味で価値を構成せず、生産しない無為な活動。日々の暇潰し。

人々に関わることもなく。
ただひとりで。孤独に。

暇で怠惰に。
一銭にもならない暇潰しを。

ただひたすら、それだけを。