素晴らしい計算

お題は「素晴らしい計算」。さっき書いてたのが消えてしまった。

こんなふうに垂れ流し的にネットに書き続けてどうなるのか、と思うが、ま、ぼくにはこういうことしかできないな。

暇だから暇潰しをしている。それだけのことで、それ以上のことは全く何もありはしない。自分の庭を守っている。ただ、それだけだ。

それは難しいことは色々とあるだろうとは思うが、自分はそれにリアリティを感じないのである。諸々の偉大なる藝術。それは素晴らしいが、自分にそれを生み出すことはできないが。ぼくは我流、自己流に鑑賞しているだけである。それがどうだ、ということはない。

ドゥルーズヴィスコンティの映画の登場人物を評して、美しいものに取り囲まれた人々と創造する藝術家は異なる、と言った。確かにそうだろうが、ぼくは貴族とか大市民、ブルジョアとかではないが、それでも美しいものに取り囲まれているのであり、創造や生産とは無縁だ、と言えよう。そして、それで全く構わないであろう。どんな人も、自分自身の生を生きればそれでいいのである。

ぼくはぼくで、自分がやりたいことだけを毎日やり続けている。他人に貢献せず。誰も喜ばせず。徹底した利己主義者である。

自分の殻に閉じ籠っていて、そこから一歩も出ることはない。そうして毎日を暇で孤独に過ごしている。実に無価値である。だが、それでいいのである。

(置かれたところで咲きなさい)という本がベストセラーになっているが、ぼくだったら、さしずめ、置かれたところで枯れなさい、だな。