打算的な海辺

お題は「打算的な海辺」だが、何のことだか分からないよ。

それはそうと、文学や文藝ってのは、難しいね。中沢忠之氏がTweetしていたブログを読んでみたが、何のことだかさっぱりだ。

ぼくは教養がないね。もう37にもなるのだが。小説の一つも書いていない。毎日ネットで時間を潰してるだけだ。

価値を生み出していない。ついでに、子供なども作っていない。今後も作らないだろう。非常に無為で不毛である。だが、ぼくは無為と不毛を愛している。

価値を生まないこと。人間を殖やさないこと。社会に貢献しないこと。

隠遁して誰にも会わずに暮らすこと。ぼくはそういうことを愛している。課題のない怠惰が何よりも好きなのだ。昔からそうだが、歳を取れば取るほどにより一層狷介になり、人嫌いになってきている。ぼくの考え方は、ひたすら余りにも暗いだけなのである。

今後死ぬまで待っても、全く何も起きそうにない。退屈には耐え続けるしかないだろう。そこからの出口はないからだ。

コミットメントを拒否して。
世の中とリアルに関わらず。
暇潰しに明け暮れ。

つまらない人生だが、それで構わないのである。みんながみんな有意義に生きるわけではない。歴史のダイナミクスと無関係な人も沢山いる。ぼくもそうである。歴史などに関わりたいとは一切思わない。ぼくはぼくの小さな庭園に留まる。そのからただの一歩も出ることはない。それが唯一のぼくの意見であり、考え方である。