買うことができないもの

西垣通の指摘には傾聴すべき点が多いが、一つ一つ検討していきたいが、まず、以下である。

「コンビニの長所は、安心感だけではない。強力なPOS(販売時点情報管理)システムにもとづく高度な物流システムである。いつ、どこで、いかなる商品が売れているかを分析し、常に最適な仕入れと品揃えを実現する。この技術は、情報流と物流との上手な組合せの一例だ。商品をサイバー商店で購入しても、手元にくるまでに何週間もかかるのではeショッピングの魅力は半減するだろう。リアルスペースにおける物流をサイバースペースのなかの情報流といかに連携するかが、ネット社会の経済活動では必ず問われてくるのである。こうしていまや、「ウェブ携帯電話とコンビニによって、日本の電子商取引がつくられる」という声さえ聞こえてくるのだ。」(161ページ)

注意したほうがいいのは、基本的に「スロー」を発想する西垣は、別にそのことに大賛成ではない、ということだ。だが、彼が現実的に考える限り、現在あるコンビニを無視できないのである。我々は、セブンイレブンファミリーマートのようなコンビニ以外に、Amazonを考えてもいい。Amazonでは現在、配送料は無料であり、さらに、注文してから翌日に届く便利さである。だからみんなAmazonでCDや書籍などを購入するのだが、そういうAmazonの便利さを支えているのは、途上国だけでなく先進社会内部にも存在している低賃金の非正規労働である。

アマゾン・ドット・コムの光と影』という本がある。私は実は、読んでいないが、内容は推察できる。その書籍については、出版された当時新聞で書評を読んだが、それだけでなく、私がグッドウィルで働いていた頃、労働者に最も人気がある仕事がAmazonの倉庫での労働だったのである。

確かにAmazonの倉庫での労働は苛酷である。ネットの顧客からの注文があると、それは瞬時に伝達され、労働者はその商品を数秒間でピックしなければならない。そういうことの繰り返しであり、しかも飛び抜けて待遇がいいわけでもない。だが、グッドウィルに存在する他の仕事よりはちょっとましだったから人気があったのである。

或いは、私が数年前働いていた浦安の倉庫はファミリーマートの下請けである。そこでの正社員のノルマと心理的重圧、パートタイム労働者への締め付けがいかに厳しかったのかということを強調しておくべきであろう。コンビニエンスストアとかAmazonの消費者側の便利さは、労働者側の過重な負担によって実現されているのだ。

だが、私が言いたいのはそのことではなく、そういうふうに簡便に購入できないものがある、ということである。それは芸術作品だけでなく、伝統工芸品などでもあり、それ以外にもある。例えば、私の彼氏は雪駄などの和の伝統工芸品も好きなのだが、『ジョジョの奇妙な冒険』のキャラクターグッズも好きである。ところが彼は最近、自転車に乗っていて帽子を紛失し、その帽子に付けていたジョジョのバッチもなくしたそうだ。

そのキャラクター商品は、Amazonにも見当たらず、『ジョジョの奇妙な冒険』の漫画家のウェブサイトでも売られていない。それは、JR東京駅の八重洲地下の商店街にある「ジャンプ・ショップ」にしかないのだ。だから、私と彼氏はそれを購入しにそこまで出掛けたが、その店にも彼が捜しているバッチはなく、さらに、注文、取り寄せもできないと言われた。そこで入手を諦める以外なかったのである。

そういうことで私が言いたいのは、現代社会がいかに便利になっても、簡単に買うことができないものもあるし、それは別に芸術作品などの特殊な商品ばかりではない、ということである。