ビートルズ

届いたばかりでまだ聴いていないが、山中千尋の昨日出た新譜はビートルズがテーマで、そうすると私は、高橋悠治の娘の高橋アキの『ハイパー・ビートルズ』が気になる。『ハイパー・ビートルズ』のことは十年以上前から気になっているのだが、まだ購入できていない、という情けなさである。それはそうと、ビートルズといえば熱狂的なビートルズ・マニアのa-29さんという樹木医の方がいたのを思い出した。a-29さんは長年、十年くらいずっと私のファンでいてくれたのだが、最近連絡が途絶えたのは、3.11がきっかけである。彼は彼なりの見通しとか考え方があるのだが、3.11以降急に盛り上がった脱原発が彼には非常に不愉快で、そういうものに接したくないという理由で、SNSTwitterも全部退会し、Ustreamも視聴しなくなり、そして、私の前から姿を消してしまったのである。彼はYahoo!でブログを書いていて、たまに覗くが、コメントすることはない。

それはそうと、スガダイローと志人の共演アルバムも近々発売されるそうで、実に楽しみである。

なんとなく実にどうでもいいことなのだが、長年a-29さんしか理解者とか友人がいなかった、ということを思い出す。そして彼は、3.11の直後、原発事故が危険なので、今すぐ関東を退去して九州に避難すべきだ、と私と実験君にそう言った。だが、我々にはそうすることはできなかった。

そういうことは暗い記憶だが、暗い記憶以外ありはしないのである。yukieさん、コーヒーと夕方さん、huratiさん、臥蛇さん(qianbianwanhuaさん)その他とは大喧嘩の挙句絶交してしまったのだし、そういうふうに、人間関係をどんどん狭め、ぶっ壊しているのである。

先程言及した全員、特にyukieさんがそうなのだが、彼女は自分は左翼だと思っていたが、正義感しかなかった。そういう人々、所謂心情左翼は大量にいるが、彼女の場合どうなるのかといえば、ありとあらゆる場合にマイノリティ、少数派の側に立とうとするし、彼女自身がそういう少数派とまるで関係がない場合さえもそうなのである。そういう独善的な倫理を主張し続けてやまない彼女と私が衝突を繰り返し、最終的に絶交に至ったのはやむを得なかったと思うのだが、残念で遺憾なことである。

yukieさんだけでなく今申し上げた全員がどうして私に接近してきたのかはまるで分からないが、恐らく、インターネットにはそれまでになかった関係性を構築できる可能性がある、ということなのだろう。例えばhuratiさんは忌野清志郎の大ファンなのだし、私の音楽とは無関係で接点などないはずだったのだが、それでも彼女達が一時期熱心に私のYouTubeUstreamを視聴してくれたというのは客観的な事実である。

しかしながら、最終的に破綻してしまった。yukieさんは或る晩私の放送を視聴していてキレてしまい、私にいきなり「死ね」と言ってきた。そのせいで大喧嘩になり、絶交してしまった。彼女はTwitterのハンドルネームも全部変え、私をブロックし、何処かに消えてしまった。コーヒーと夕方さんとも口論になり、ブロックしてしまった。そうすると、自動的に、huratiさん、臥蛇さんなどとも絶交する結果になった。

当時のことを思い返すと、cyubaki3は、yukieさんのいうことはわけが分からないから、関係が悪くなってしまっても致し方がなかった、と私を慰めてくれた。確かにそうだが、そうなのだとしても、ああいう結末は遺憾である。彼女の主張が全く理解不能なものだったとしても、もう少し何とかならなかったのだろうか、と思うのである。

最近ではトロンボーン奏者の松本治さんがそうだったが、何をいいたいのか全くわけが分からず意味不明な人々が結構いる。私には松本さんの批判の意味がさっぱり分からなかった。私に推測できたのは、どうも松本さんご自身は脱原発派で、その観点から私に言いがかりをつけてきたのだということ、彼に感情的な反撥があったらしいということくらいである。そしてそういう人々は、別に松本さんだけではなく、本当に膨大にいるのだ。そのことを、一体どうすればいいのか。

私としてはそういうことは厭だが、yukieさん、松本さんのような方々を観察したり交流すると、そういう人々の意見については、「気持ちを汲む」というくらいしかないのだろうか、と思った。合理的に理解することは全く不可能だからだ。

自分が冷ややか過ぎる、という問題点も考えてみた。というのは、インターネットには誰でも書き込めるのだし、今申し上げた事例に類似したものは幾らでもあるはずで、yukieさん、松本さんが私に反撥したとしても、彼らが「死ね」などの合理性がない短絡的な物言いしか出来なかったのも致し方がなかったのかもしれず、彼らと同じ人々も大量にいるから、少し理解できる言い方でいってみてくれないか、と求めることはできないのかもしれない、というようなことである。

とはいえ、気持ちを汲んだからどうなるのだろうか。松本さんの場合だったら、あなたがおっしゃることに別に自分も反対ではない、などと申し上げればよかったのだろうか。

自然な共感などの感情的、想像的な次元がないことが問題であり、そのことから多くの深刻な対立や問題が出てくる。というふうには思うが、さて、困ったことである。

私には人間味のかけらもないということだが、自分の感情、想像などをそれこそ自然に展開すると、亡霊しか出てこない短歌になり、それはそれで多くの人々が不気味と感じるようなものである。

現在発達障害などが盛んに話題にされているが、感情的な把握の次元に何らかの問題を抱えた人々が大量に存在し、その原因は不明だが、脳に問題があるのではないか、という意見も多い。だが、それを確かめることはできない。それはそうと、そういう発達障害とは別のものだが、少し歴史を遡ると、半世紀ほど遡ると、ブランケンブルグの『自然な自明性の喪失』の自殺した女性患者、初期の木村敏の『自覚の精神病理』の離人症の患者などがいたが、彼らがどうして自然な自明性を喪失したのかは不明である。少しベルクソン風に、生命との接触が断ち切られていたから、阻害されていたからだ、とみなすとしても、それが有意味な説明になるのだろうか。事実として、2012年現在の木村敏は非常に素朴な生命主義にみえるし、いかに本人がそういう見方を斥けようと、どうしてもそうみえてしまうのである。