若き日のホロヴィッツ

食欲がなく何も食べていないし、ガリガリ君を一本食べただけで、小笠原穀さん(ogatakehikkyさん)は暑いからクーラーをがんがん掛けているそうなのだが、この私はといえば、別に節電とか痩我慢などではなく、そもそも、自室のクーラーのコンセントを何処に差し込めばいいのかが分からない、というような基本中の基本で躓いている。それだけ冷房を入れないということなのだし、暑くて汗ばかり掻いて熱中症になりそうでも、水風呂にばかり入っているのである。そして身体のあちこちが痛み、意識が遠のく。

正午過ぎたら、仕事が休みだからSkypeで話そう、ということになっていたので、彼氏とSkypeで少し喋ったのだが、20分も経たないうちにSkypeは切れてしまった。今日彼の仕事が休みなのに会わないのは、今日は、彼にとっては月に一度の「ファミコン・サークル」だからである。

ファミコン・サークル」というのは、要するに、彼が友達数人と会って、ファミコンをしたり、音楽を聴いたり、バンド演奏をしたり、DVDを観たり、というような会合である。別にそれほどファミコンが中心ではないようだ。先日は彼はDJをやり、クラシックばかり流したそうである。そういうものが夜にあるから、今日我々は会えないのである。

土曜日に上野で会う予定だが、そういうことは随分前、十日以上前から取り決めていたが、その頃は遥か先だと感じていたが、もう既に明後日である。それには心底驚くが、それだけあっという間に時間が過ぎ去ってしまったのだ。我々は貧乏が理由でセックスも出来ず、彼の給料日、給料の振り込みをひたすら待つ以外なかったのである。

それはそうと、恐らくセックスは楽しいのだろうが、体力がない、体が弱い、病弱、身体的な健康が皆無、とかは困ったもので、セックスどころではないのではないか、とも思う。とにかく、彼と二人でゆっくりするのだから、ペットボトルのお茶などを購入してゆっくりと飲んだり、というような計画である。彼と漠然と会話してみても、なんとなく彼は逞しいと思うが、私が女性になれるわけではなく、別に女性にならなくてもいいが、私自身は少しも体を鍛えておらず、また、それ以外にも、外見には少しも気を遣わない、放置している、ということである。そういう私からみれば、彼は少し逞しくみえるが、それでもその彼も、別に、トレーニングをしたりジムに通ったりしているわけでは全くない、というようなことである。

彼は常識人で、お喋りしていても、えー、たぁちゃん、また難しいこと書いたのー?、と、まあそういう感じである。確かに、難しいことだったら大量に書いたのだが。

それはそうと、1920-40年代のホロヴィッツの最初期の録音を集めた『若き日のホロヴィッツ』をちょっと聴いたが、『アンコール』と70%以上内容がだぶっていた。ライナーノーツに年譜が掲載されていたから、よく読んでみたが、1930年代のことだが、ホロヴィッツが発狂した、自殺した、というような根拠がない事実と異なる噂が流れたようだ。そしてその翌年は、やはり誤報だが、ホロヴィッツ死亡、というニュースが伝えられたことがあったそうである。

その数年前だが、当時、アルトゥール・ルービンシュタインホロヴィッツの演奏に非常に衝撃を受けた、という事実が記載されている。それは確かにそういうことならあった。私は、高校生の頃、船橋市東図書館で借りてよく読んだのだが、ルービンシュタインの自叙伝を読むと、当時のことが書いてある。ルービンシュタインも戦前、ヴィルトゥオーゾ、名人として知られていたが、当時の録音を現在聴くとかなり大雑把であり、ミスタッチが大量にあってもそのままにしている。そういうルービンシュタインが、遥かに厳密、精密だったホロヴィッツの演奏に接してショックを受けたし、ピアニストという同業者として口惜しかったということなのだが、自叙伝によれば、彼は、口惜しさの余り、両手の掌を、拳、拳固を作って固く握り締めていたそうである。そして、自叙伝のその続きでは、自分はピアニストであり、いつまでも拳を握り締めていてはピアノの演奏が出来ないので、手を開き、ピアノの練習をやり直した、とのことである。

ディスクユニオンなどで調べると、ルービンシュタインショパン全集には、戦前のものと戦後のものの二種類があるようで、ホロヴィッツにもいえることだが、彼の1960年代の演奏というのは驚くほど淡々とした素晴らしいものである。