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哲学と科学、思弁と実験の双方に限界があるというのは後藤さんがおっしゃる通りでしょうね。
自由にやると手癖になってしまうということですが、例えば、山下洋輔は手癖だがセシル・テイラーは違うとか、阿部薫と比べてドルフィーがどうのとかいう人が多いですが、そういうことが本当に分かるのかな、と昔から疑問です。ピアノとかサックスをちょっと知っている人ならもしかしたら分かるかもしれませんが。
例えば鍵盤に向かうと、弾き易い音の配列とそうではないものがありますよね。譜面やコードその他の制約がなく「自由」にやると、弾き易い組み合わせになってしまい、それが「手癖」だということになってしまうかもしれません。
音楽と関係あるか分かりませんが、「ドクター・バロウズ」というソフトウェアがあります。バロウズカットアップを自動生成するソフトですが、同じようにフリー・ジャズやフリー・インプロヴァイゼーションを自動生成する機械は可能だろうかとちょっと想像しました。そして人間の音と機械の自動生成する音が識別不可能なのだとしたら…。そこにはもう「人間」は存在しないのかもしれませんね。極端な想定ですが。