和声学は趣味の問題ではない。

おはようございます。今日はここから始めます。

「四 和声学は少くともその一部は現象学であり、従って文法である、──こうではないか。
和声学は趣味の問題ではない。」

ウィトゲンシュタイン『全集2: 哲学的考察』(奥雅博訳、大修館書店)、p.54です。
さて、最大の問題は、Harmonikというドイツ語が「和声、和声法」という意味と「倍音」という意味のふたつがあることです。このことはcyubaki3が指摘してくれました。彼に感謝します。そうしますと、ウィトゲンシュタインが本当に「和声学」を問題にしたのかどうかが疑わしくなります。でもどちらの意味で取っても理解するのは難しいでしょう。
現象学」について、ウィトゲンシュタイン現象学者ではありませんでしたが、彼はこの用語をどういう意味で使っているのでしょうか。彼の言い分は「現象学は諸可能性のみを確定する」(p.52)、だから、物理学とは違うそうです。もうひとつの表現は、「現象学は、物理学が自らの理論を構築するための土台としている諸事実を区別する文法である」(同箇所)ということです。彼が「文法」といっているのはそのことでしょう。

「四」で問題にされるのは、「ある色はもう一つの色よりも三度高い」と語るのが無意義かどうか、ということですが、彼の結論はこうです。

「これらの語を私と同じような意味で使用する人は、語のこのような組合せにいかなる意義も結合することもできない。彼にとってこの組合せが意義を持つとすれば、彼はこれらの語によって私とは別なことを理解しているのである。」(p.55)

p.431の訳注を読むべきでしょう。「(7) Terz. 即ち、音階での三度。しかしこのように訳すと余りにも当然な話である。だが訳文のようにすると明度、彩度の話と誤解されるおそれもあり、難しいところである。」

辞書を引いてみました。Terzの意味は、(1) 三度(音楽用語)、(2) (フェンシングで)第三の構え(相手の右耳から斜に下へ打ちおろす)、(3) 三時課(聖務日課の)、となっています。die kleine Terzとは短三度のことです。長三度のほうは、アルファベットでどう表記していいか技術的に私には分からない単語が含まれています。dis gro...e Terzですが、私が省略した部分(...)を表記する方法があるのかもしれませんが、ちょっと分かりません。

CとEの関係は、和声法(Harmonik)で長三度です。CとE flatの関係は短三度です。或る色、例えばこの「赤」がもう一つの色、「青」よりも「長三度」高いと語ることには意味があるのでしょうか。無意味なのでしょうか。

一般的には意味をなさないというべきでしょうが、しかし、以前もお話しした共感覚現象があります。或る音の響きを映像として見ることができる人々がいます。みんながみんなそうであるわけではないし、私もそうではありません。ですが、そういう人々にとっては、「ある色はもう一つの色よりも三度高い」という表現が有意味なのかもしれません。とりあえずいえるのはそこまでです。