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私がSFを読んだのは小学生まででした。中学校にあがると精神病になりましたから読めなくなりました。その頃から残酷な言葉で人々を死に追いやる性格は少しも変わらなかったようです。

私に悪意がなくても、気付けばいつの間にか人が死んでいたとかいうことになってしまいますが、そういう存在は客観的にいって悪でしょう。

昔から私の周りには発狂したり、鬱になったり、離婚したり、自殺してしまう人々が多くいました。

nowplaying: Thelonious Monk "Solo On Vogue", "Brilliant Corners".

全員私がそうさせたわけではなくても、大学時代からそういう人々の悲惨を観察し続けてきました。どうしてそういうことになってしまうのかは理解できませんでした。個々人のそれなりの事情があったということなのでしょう。

ですからそういう私は「絶望の教室」とかいわれました。絶望を教えることしかできない教師という意味です。

けれども現実が絶望的なのですから、私が絶望を教えるというならば現実を教えているのだというべきです。

岡崎さんは絶望しない人でしたが、私はただ彼を観察したというだけでした。

岡崎さんが鬱病についていうことは私には少しも理解できませんでした。彼が鬱病ではないからそう思うのだろうと考えました。

岡崎さんの周りには光(lumiere)のように明るい知性が集まってきましたが、私は明るくもなければ知性的でもありませんでした。私はただ根暗な情念の人であったというだけでした。今でも同じです。