近況アップデート

Bill Evans with Jeremy Steig "What's New". - Bill Evansのなかでも異色の一枚です。Jeremy Steigはジャズフルート奏者ですが、そもそもジャズフルートは稀少ですが、Steigの演奏スタイルは非常に特異です。そして、このCDの演奏も熱演であり、Evansもそれに応えています。ですから、非常に聴きごたえのあるいい盤です。

漠然と大学時代を思い出していましたが、私はしばしば文学研究会のサークル部室で一人でボールペンで絵画を描いていました。後年岡崎さんから褒めていただいたこともありましたが、でも、その絵画も全部失われました。その後、現在に至るまで、私は絵画を描くことが一切できなくなりました。理由は分かりません。

たまに20年前のように絵を描きたいと夢想しますが、断念してしまいます。昔のように絵を描くことはできません。ですが、昔絵を描いていたときは、現在ピアノを弾く以上に、自由であり、快感を感じていたように思います。

楽家になることすらもちろんできませんが、画家、美術家は最初から目標ではないので、絵画においては本当に自由を感じたということなのでしょう。学部を卒業したら描けなくなった理由は全くわけが分かりません。

確実なのは大学生だった当時、相当強いストレス状況だったということです。だからあのような変な絵(実際、おかしな絵でした)ばかり描いていたのでしょう。絵が残っていればよかったですが、でも失われました。

どうでもいいようなことですが、「私には夢がありました」というようなことばかり思い返します。それはメールですから、ただの記号であり、声を聴いたわけですらありません。cyubaki3にその話をしたら、「キング牧師かよ」といわれてしまいましたが、そういえば確かに、キング牧師には、"I have a dream."という有名な演説がありましたね。

杉原さんのことはともかく、私自身にも夢があったはずです。14歳の頃の夢は、ホロヴィッツのようなピアニストになりたいということであり、音大に行くことを希望しましたが、高校の音楽教師から否定されてしまいました。どう考えても音大進学は不可能だというのです。以降、ろくな夢や希望を持ちません。

少し哲学を読んだかもしれませんが、私自身の希望ではありません。

そもそも面倒臭いから、外国語や哲学史の勉強が厭でした。厭でしたが、それをやるしかありませんでした。

そうはいっても、勉強したとしても、フランス語はろくなレヴェルに到達しませんでした。フランス語だけで読書するのには困難を感じます。37歳の現在もそうです。ましてやドイツ語、ラテン語ギリシャ語とかいう話ではありません。

数学に才能が必要なのと同じで、語学にも向き不向きがあります。私は大学入試のとき英語で非常に苦労したので、それに懲りて、大学では第二外国語をそれなりに頑張りましたが、意味はありませんでした。

小説は書けず、絵も描けず、ピアノもろくでもないので、結局有効な表現手段は何もないということになります。

バロウズが作家になろうと思ったのは、楽そうだという理由だけからでしたが、でも彼は作家になれました。幸運です。

今自分が多少何かを知っているとすれば、大学時代に強制的に学んだからというだけです。勉強すればちょっと知識が増えるという意味では、大学教育にも少しは意義があるのかもしれませんが、よく分かりません。

でもたまたま哲学科に入っても、真面目に勉強しようという人は実は少なかったかもしれません。私は不器用だったのでしょう。

ただ学部の哲学科でも大学院でも友達を作る気持ちはありませんでした。ドゥルーズが専攻だとかいうと馬鹿にされたし、他人と会話したくなかったからです。

確かにハイデガーをやっているような人からみれば、ドゥルーズを読む私は軽薄にみえたのでしょうし、それはしょうがなかったでしょう。

大学でも大学院でも、みんなで、ということは一切ありませんでした。個々の院生が個人で読書しているというだけでしたから、非常に孤独な世界です。大学院を放り出されて以降も同じです。大学図書館ではなく地域の図書館で読むようになっただけです。

Facebookの友達やフィード購読者が減少していますが、理由が分かりません。ジェンダーの議論がそんなに不愉快だったのでしょうか。

Facebookでは誰が去ったのか分からないし、しょうがないと思います。

どう考えてもNAMは必要ない迂回でした。岡崎さん、倉数さんと遭遇したとしても、そのことに特に意味はありません。

人生には回り道もあるというようなことでしょう。

そういうつまらないことからもう10年以上過ぎてしまいました。

ろくでもない連中のことはさっさと忘れたいですが、そうもいかないということでしょう。

岡崎さん、倉数さんと会っても意味がなかったのは、考え方が違うからです。最終的にNAMでも私は孤独でした。蛭田さんが私に非常に失礼なことをいいました。君はNAMで友達を得たのだから、柄谷さんに感謝すべきだ、などといったのです。私が腹を立てたのも当たり前です。

岡崎さんは不思議な人でしたが、偉くても、気楽に付き合えないならいやです。柄谷さんと同じです。NAMでは文化人に配慮するとかに疲れたし、そういうことはしたくありません。

倉数さんにしても、最終的に私には彼が理解できません。頭がいい人なのだろうということくらいしか分かりません。そして、それだけです。

NAMにはよく分からない人ばかりでした。杉原さんも西部さんもみんな同じです。

浅輪さんにしても、彼に腹を立てるというよりも、理解できませんでした。

生井さん、松本さんのことも私には不明です。彼らが『資本論』を好んだということしか分かりません。

結論からいえば、わけがわかりません。

そうしますと、NAMには私には理解できない人々ばかり集まっていたことになります。それ以外は、悪意がある人々、端的な悪(京都のろくでなし連中)、とかです。

悪と遭遇してしまうのも稀な体験なのでしょうが、不快です。