近況アップデート

おはようございます。Storyvilleから出ているBud Powell Trio "Bouncing With Bud"を聴いています。データを書いておけば、Bud Powell (p), Niels-Henning Orsted Pedersen (b), William Schiopffe (ds), Recorded in Copenhage, April 26, 1962です。演奏曲目は(1) Rifftide, (2) Bouncing With Bud, (3) Move, (4) The Best Thing For You, (5) Straight, No Chaser, (6) I Remember Clifford, (7) Hot House, (8) 52nd Street Themeですが、非常に素晴らしい演奏です。晩年のPowellは同じ曲を執拗に繰り返し演奏しましたが、"I Remember Clifford"などが特に好きだったのでしょう、何度も何度も録音しています。どの録音も味があるとても良いものです。Powellの"I Remember Clifford"以上の音楽が存在するとはちょっと考えられません。

BOUNCING WITH BUD

BOUNCING WITH BUD

私は7時か8時に目醒めますが、そうしますと、一日何を書こうか考えます。どうせろくな結論に到達しないわけですが、とにかく毎日考えます。今日はとりあえず次のことから書き始めます。「そして、夢を持ちましょう。どんなときにも、夢は必要なのです。夢が人を力づけるのです。ですから、夢は死んでゆくときにさえも必要なのです。「もういちど生まれてくるときには、○○のように生まれて、○○のような生き方をしたい」「天国でお母さんを待っているからね」と言って死んでゆく白血病の子などはその例です。」これは神田橋條治の『精神科養生のコツ』(岩崎学術出版社)のp.70-71です。

神田橋條治という人はカリスマ的な人気のある精神科医ですが、整体、ヨガ、気功、漢方その他の代替医療やOリング・テストなどが大好きですから、そういうことは私は疑います。信用しません。実際私自身も彼が推奨する気功を試しましたが、状態が少しも改善しませんでした。ですが、神田橋のいうことで妥当なものも沢山あります。

夢を持つのが必要だというのは普通ですが、死んでいくときにさえも必要だというのはちょっと変わっています。私が思い浮かべるのは宮沢賢治の『永訣の朝』です。これは非常に素晴らしい詩です。

『永訣の朝』では宮沢賢治の幼い妹が病死します。彼女は、今度生まれてくるときには自分のことだけしか考えられないのではなく、他人のことも考えられる人間になりたい、ということを東北の方言でいって、それで死んでしまいます。

神田橋條治は未来、夢、「未来への夢」の重要性を語りますが、特定のどこを引用すればいいだろうというのはありません。ただ、彼は未来のために現在を道具化してしまってはいけない、といっています。例えば進学、就職のために道具化するわけですが、そうしますと、人生全体が道具化されるということになります。そういう人々に、中年になってとんでもない脱線をする人が多い、というのが彼の意見です。

彼の意見は、未来への夢をもたない人は、ただ現在を生きるから、退屈をまぎらすために次々と刺激を求めるが、そういうことはつまらないということです。それは「平和で安定した時代が平和で安定しているがゆえに生みだした、最高の不幸の一つ」(p.76)とのことです。

神田橋條治が特に重要であるといって引用するのは、美空ひばりの『川の流れのように』と喜納昌吉の『花』ですが、確かに私からみても、それらの歌は存在するなかで最高のものなので、多くの人々から愛されるのも当然だと思います。

彼の意見で少し変わっているのは、「多くの人に好まれている歌ではないのに、あなただけが大好きな歌というのは、養生にとって特別に大切な役割があります」(p.77)というところです。

私も少し考えてみましたが、ディック・ミネの『夜霧のブルース』、フランク永井の『有楽町で逢いましょう』、鶴田浩二の『赤と黒のブルース』、グラシェラ・スサーナの『サバの女王』、ミーナの『別離(わかれ)』、広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』、篠原ともえの『ウルトラリラックス』、UAの『甘い運命』、中谷美紀の『砂の果実』『クロニック・ラブ』、Judy And Maryの『そばかす』『ラブリーベイベー』を特に好みます。

フランク永井は首吊り自殺に失敗して脳が破壊され、痴呆になったので、晩年は悲惨でした。成功していればよかったのでしょうが、奥さんに発見されて救助されてしまったのです。

赤と黒のブルース』は歌詞が特に素晴らしいです。「地獄」が歌われていたはずです。

『サバの女王』『別離(わかれ)』は恋愛の歌として最高です。スサーナもミーナも聴きましたが、彼女達は歌がうまいです。

広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』が発売されたのは、私が大学3年くらいのときだったはずですが、正しい歌詞は「ずっと前から彼のこと、好きだった、誰よりも」ですが、カラオケなどでどういうわけか必ず私は、「ちょっと前から」と間違えて歌ってしまったので、そのことをよく覚えています。

広末涼子篠原ともえ中谷美紀はお世辞にも歌がうまいとはいえませんから、彼女達の歌が好きだったのは私の個人的な偏向であるということになります。

『砂の果実』は、現在の坂本美雨(当時Sister Mと名乗っていました)、坂本龍一の娘が英語でまず歌い、日本テレビのドラマ『ストーカー』の主題歌になりました。そのことに中谷美紀は嫉妬したそうです。日本語詞は中谷美紀が歌いましたが、「生まれてこなければ本当は良かったの」という歌詞が印象に残っています。

広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』の歌詞を常に間違えたのは「しくじり行為(失錯行為)」でしょうが、「ずっと前から」と「ちょっと前から」がどう違うのだろうかというのは、ちょっと分かりません。

歌のことはこのくらいにして神田橋條治に戻りますが、彼が運動の分野での自然治癒力のあらわれとしてどういうことを考えているかというのを紹介して終わりたいと思います。彼は以下を挙げています。(1) 貧乏ゆすり、(2) 叫ぶ、(3) 逆をする、(4) 破壊、(5) ミニ断食、(6) 週末蒸発、(7) のたうち回る、(8) ちょっと死んでみる、(9) 幽霊になってみる、(10) 頭を抱える、これで全部です。

神田橋條治の指摘で変わっているのは、精神病が悪くなると健康なときの特徴と正反対の雰囲気になるということです。そこから、彼は、いつもの生活習慣の逆をするのが養生のコツだと考えました。青少年にとって、ゲームセンターや援助交際が「健康法」だというのもちょっと変わっています。恐らく彼がいいたいのは、受験勉強ばかりするのは健康に良くないから、勉強と無縁の生活をしてみるのが健康法なのだというようなことなのでしょう。援助交際の是非を別にして、それはその通りだと思います。

Bud Powell "Bud Plays Bird": Bud Powell (piano), George Duvivier (bass), Arthur Taylor (drums), Recorded in New York City on October 14, 1957 (2-4, 6, 8, 11 & 14); December 2, 1957 (7 & 12), and January 30, 1958 (1, 5, 9, 10, 13, 15). (1) Big Foot (long version), (2) Shaw' Nuff, (3) Buzzy, (4) Yardbird Suite, (5) Relaxin' At Camarillo, (6) Confirmation, (7) Billie's Bounce, (8) Ko KO, (9) Dewey Square, (11) Moose The Mooch, (12) Ornithology, (13) Scrapple From The Apple, (14) Salt Peanuts, (15) Big Foot (short version).

Bud Plays Bird

Bud Plays Bird

Bud Powell "Blues For Bouffemont". (1) In The Mood For A Classic (a), (2) Like Someone In Love (a), (3) Una Noche Con Francis (a), (4) Relaxin' At Camarillo (a), (5) Moose The Mooche, (6) Blues For Bouffemont (a), (7) Little Willie Leaps (a), (8) My Old Flame (a), (9) I Know That You Know (b), (10) Star Eyes (b), (11) There Will Never Be Another You (b). (a) Bud Powell (piano), Michel Gaudry (bass), Arthur Tarlor (drums). (b) Bud Powell (piano), Guy Hayat (bass), Jacques Gervais (drums). (a) Recorded at Acousti Studios, Paris, 31st July 1964. (b) Recorded in Edenville, France, August 1964.

Blues for Bouffemont

Blues for Bouffemont

Bud Powell Trio "Blues For Bouffemont"を聴いて驚くのは、非常に良い演奏だということです。1964年録音ということは最晩年ですが、それでもPowellは最上の演奏を聴かせています。

後期Powellは崩壊してしまったとよくいわれます。1953年、或いは1951年までのような超絶技巧を失ったという意味ではそうですが、それでも彼なりに素晴らしい演奏を残しています。

1953年以降のPowellの歩みを丹念に辿りますと、Blue NoteとVerveで印象が相当違います。Verveに残された音源は力ない感じです。そういうことを「狂気」であるという人々もいますが、私はそうは思いません。

Blue Noteの、例えば"Bud!"は力ないというのとは違います。力強い演奏ですが、でも、例えばブルースを弾いているといつの間にかコードがずれてしまい、そのことに演奏していて自分で気付きません。それがそのままレコードになっていますから、聴くと変な感じがします。一部でカーティス・フラーと共演していますが、フラーは困惑している感じです。

Powellがパリに渡ってからのことですが、アート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズがパリで公演したとき、パウエルはパルネ・ウィランと一緒に共演しました。『パリのジャム・セッション』として発売されています。良い演奏ですが、パウエルが共演者を無視して勝手にピアノを弾き始め、共演者が慌ててついていく、というようなことが記録されています。

『パリのジャム・セッション』でのパウエルのソロは素晴らしいですが、でも非常に孤独です。彼一人がビバップですから、演奏スタイルが他の人々と異なるのです。

当時のジャズ・メッセンジャーズの看板スターはトランペットのリー・モーガン、テナー・サックスのウェイン・ショーターです。ショーターは後にモード奏法を確立しますが、まだハード・バッパーです。そういう彼らとパウエルでは音楽性が違います。

『パリのジャム・セッション』では、パウエルが抜けた後、ウォルター・デイヴィス・ジュニアがピアノで入り、『チュニジアの夜』を演奏しますが、いろいろな意味で非常に素晴らしい演奏です。まず、ブレイキーのドラミングが凄いです。これだけ圧倒的なドラミングというのはメッセンジャーズの他のアルバムでも聴くことができないのではないでしょうか。それから、リー・モーガンウェイン・ショーターのソロも素晴らしいです。ショーターのサックスは呪術的などといわれますが、確かにそういう感じです。余り知られていない不運な人ですが、ウォルター・デイヴィス・ジュニアのピアノも非常に良いです。私は『チュニジアの夜』という曲についてはこの演奏がベストだと思います。

晩年のパウエルに話を戻せば、「ゴールデン・サークル」でのライヴ盤(5枚組)が一番いいという人が多いし、私もそう思います。『バドイズム』という3枚組はところどころ悲惨です。ニューヨークに帰ってからの、『リターン・オブ・バド・パウエル』は驚くほど悲惨な演奏です。共演者にも恵まれませんでした。ドラムの入り方などは非常に粗雑です。そしてそれが、我々が入手可能なパウエルの最後の記録です。それ以降の録音もあるのかもしれませんが、売られていませんから、誰も聴くことができません。

ニューヨークに戻ったパウエルは肺結核と「栄養失調」で死にますが、60年代半ばのアメリカで「栄養失調」で死んでしまうというようなことにはびっくりしてしまいます。でも、それが事実です。パウエルはそういう悲惨な死に方をしました。きっと金銭も仕事もなかったと思います。

ヨーロッパに渡ったのは生活がしやすいという理由からだったはずですが、どうしてパウエルが苛酷なニューヨークに帰ろうと思ったのかは分かりません。でも、やっていけなかったはずです。ジャズシーンは変貌していましたし、クラブの仕事を得ても精神病ですっぽかしてクビになったりして、生活は楽ではなかっただろうと思います。だから肺結核の治療も満足にできず、「栄養失調」で死ぬことになりました。

パリにはパウエルを非常に尊敬している熱烈なファンがいて、彼の世話をしていました。パウエルは精神病ですし、麻薬、アルコールの問題もありましたから、まともに日常生活が送れなかったのですが、そのフランス人がパウエルの身の周りのことをやっていました。けれども、パウエルの死後だと思いますが、その人のアパルトマンが火事になり、パウエルとの懐かしい思い出の品々が全部焼失してしまいました。その人はそのことを悲しんで自殺しました。それほどまでにパウエルのことが好きだったのです。

評論家の意見には同意しないといいましたが、でもどういうことをいっているのかちょっとみてみましょう。ヴァーヴの『バド・パウエル '57』の、大和明という人による1999年2月21日の文章です。「(2) 〈ザット・オールド・ブラック・マジック〉は虚ろな心のままに唯彼の指がメロディーを綴っていったかのような凄惨なプレイとして知られている。ラテン・リズムに乗ったテーマを終え、サビに戻る繰り返しではルバート・テンポで変化をつけた積りでも、単なるメロディーを弾いただけに終わっている。それでもその中に散りばめられるグリッサンドなどに滅びの美と哀しみがこめられているかのように感じるから不思議だ。」

音源を実際に聴くとそうではないと思います。「虚ろな心」「凄惨なプレイ」「滅びの美と哀しみ」とかはただの思い込みです。名演奏ではなくても、別に普通です。

ライナーノーツを信じるならば、事実関係を整理できます。(1) パウエルの精神病は1945年に始まり、何度か精神病院で入院治療をしました。(2) 診断はパラノイア(偏執病)だそうですが、現在の精神医学の体系にはそれはないはずです。現在の精神医学の基準でいえばどうなるのかはちょっと分かりません。(3) 1947年11月に再発したときは、11か月もの入院が必要でした。(4) 1951年8月に麻薬所持で逮捕され、牢獄の中で3度目の発作を起こし、約1年半にわたって精神病院で療養しなければなりませんでした。そこで電気ショック療法を受け、1953年2月初めに社会復帰しますが、けれどもそれ以降の彼は別人のようになってしまいました。

ヴァーヴのパウエルを私はバラ売りで買いましたが、ボックスセットもありますので、それを持っている人もいます。ボックスセットには龝吉敏子が解説を書いているそうです。彼女によれば、パウエルがオスカー・ピーターソンに会いたがったことがあったそうです。パウエルは彼女と一緒にピーターソンに会いに行きましたが、どういうことなのかよく分かりませんが、ピーターソンはどうしてもパウエルと会ってくれなかったそうです。龝吉敏子の証言では、パウエルはそのことに非常に傷付いてしまったそうです。

「すなわち彼は失踪を繰り返し、クラブに穴を空けては発見されるという具合で、パトロンのニカ男爵夫人のアパートに居候はしていたものの、多くの友人に金銭を無心して歩く状態だった。結局栄養失調と肺結核によってこの世を去るという悲惨な最期ではあったが、それでもパウエルにとって晩年は決して辛いものではなかった。ニューヨークに戻り多くの友人に囲まれて演奏することができたからだ。その証拠がここにある。何と嬉しそうなプレイであることか。渡仏する直前の悲しげな演奏に比べ、ここでは溢れ出る喜びと押し寄せてくる幸福感に浸ったパウエルを認めることができる。人生の結末は例えようもないほど悲惨だったかもしれない。しかしこのアルバムを聴いていると、CDの向こう側で少々太ってしまった体を持て余すようにして微笑んでいるあのバド・パウエルの姿が見えてくるようだ。」──これは『リターン・オブ・バド・パウエル』のライナーノーツでの小川隆夫の文章です。

大江健三郎がパリでパウエルを観た印象をエッセイに書いていました。彼にはパウエルがセイウチとかトドに見えたそうです。鈍重だったということなのでしょうが、けれども大江によれば、或る瞬間突然、パウエルは蘇り、素晴らしい演奏を聴かせたそうです。そういうこともあったのでしょう。

どうしてなのか分かりませんが、パリのクラブで一晩中、「オール・ザ・シングス・ユーアー」だけを繰り返し執拗に弾き続けたこともあったそうです。

『リターン・オブ・バド・パウエル』『バドイズム』は悲惨だといいましたが、パウエルを好きな人には大切な演奏です。他方、『ゴールデン・サークル』がいいといわれるのは、ゴールデン・サークルというクラブでの演奏記録から精選してリリースしたからなのでしょう。

『ゴールデン・サークル』のVolume 3だかに入っている「アイ・リメンバー・クリフォード」は究極の名演奏だそうですが、そんな気もします。

"Pure Genius Always"という「バードランド」におけるエア・チェックがあり、それは『リターン』の直後なので、本当に最後ということですが、でも"Pure Genius"は売られているとしても非常に高額ですので、私のような一般人には買うことができません。

事実関係を少し整理しますと、Rouletteというレーベルから出た"The Bud Powell Trio"(邦題『バド・パウエルの芸術』)の1曲目から8曲目まで(A面)は1947年録音です。Prestigeから出た"Sonny Stitt/ Bud Powell / J.J. Johnson"は1949-1950年録音です。パウエルの精神病の発病は1945年でしたから、それ以降ということになります。我々は精神病を発病してしまう前のパウエルの演奏がどのようなものであったのか知る手段がありません。

"Sonny Stitt / Bud Powell / J.J. Johnson"のライナーノーツで油井正一が書いていますが、こういうことがあったそうです。「このセッションを通じてスティットは終始パウエルを立て「偉大なパウエルさん」という尊敬とも皮肉ともつかぬ呼び掛けをしていたが、これがパウエルの気分をよくし、迫力あるプレイを見せる原因になったそうだ。そこまではよかったが、ついその気になったパウエルは、副調室にいた社長のワインストックを呼び付け、「おい太っちょ、表にいってサンドイッチを買ってきな」とやった。座がいっぺんに白けてしまい、ワインストックは二度とこの無礼なパウエルを録音しなかったのである。」──そういうことは残念ですが、でもよくあることだと思います。

現在入手不可能なはずですが、ブルーバード栄光の遺産シリーズの一枚で、『ビバップレヴォリューション』というコンピレーションがありました。その冒頭が、ドラマーのケニー・クラークの楽団によるセロニアス・モンク作曲「エピストロフィ」の演奏ですが、ピアノを若いパウエルが担当しています。パウエルのピアノは目が醒めるような素晴らしい演奏です。ですが、それも1945年以降の演奏のはずです。

パウエルは性格が激しい人だったようで、いろいろなことがありました。或る晩、「ジャズ・ピアノの神様」アート・テイタムと会ったとき、テイタムがパウエルを批判したそうです。テイタムの意見は、君は右手だけのピアニストじゃないか、左手が死んでいる、ということでしたが、なるほどそういう事実もあったと思います。

パウエルの革新というのは、「ジャズ・ピアノ・トリオ」形式を確立したことです。ピアノ、ベース、ドラムからなるトリオを確立したのですが、そうしますと、低音部やルート(根音)はベーシストが弾きますから、ピアニストが左手で余計なことをしなくてもいい、ということになります。

アール・ハインズでもファッツ・ウォーラーでもアート・テイタムでもテディ・ウィルソンでも全員同じですが、それまでのスウィングのピアニストは、左手でストライドをやりながら右手でアドリブをする、ということでした。ところが、パウエル以降、左手はただバッキングをすればいい、ということになりました。

そうしますと、右手が解放されて自由になりますから、右手でより奔放なソロを取ることができます。パウエルのプレイが「ホーン・ライク」とか「ホーン・スタイル」と呼ばれたのはそのためです。彼の右手はホーン奏者と同じくらい強力だったのです。

でもそういった革新によって、失われたものもありました。テイタムが指摘したのはそのことでしたが、偉大な先輩の意見ですから素直に聞いておけばよかったのに、と思いますが、パウエルは怒ってしまいました。それで、こういうことをやりました。

パウエルはその場のグラスを叩き割ってその割れたガラスで自分の片手を傷付けました。そして、傷付いていないほうの手だけで、「サムタイムズ・アイム・ハッピー」を猛スピードで演奏してみせたそうです。そうすることで、テイタムの意見に反論しようとしたのです。

パウエルは人種的偏見にも悩んでいました。漂白剤で皮膚の黒色を落とそうとしたかと思えば、マイルス・デイヴィスに「お前のように真っ黒になりたい」といってみるというような分裂した言動でしたが、とにかく悩んでいたことだけは間違いないでしょう。そして、とりたてて理由もなく警官から警棒で殴られたりもしました。パウエルが変になってしまったのはそのときの怪我のせいだ、という人もいます。

"Bud Powell's Moods".

ムーズ

ムーズ

いーぐる掲示板を読んで呆れました。私が『クレオパトラの夢』に言及したから、パウエル=『クレオパトラの夢』だと思っているというような誤解がどうして生じるのか分かりません。私のブログを読まなくても、投稿だけからも、私がパウエルを全部聴いている、しかも暗記するほど繰り返し聴いているというのは自明であるはずです。

偉い批評家先生から「もっと先へ行きましょうよ」とか説教されるのが不愉快なのは誰でも同じです。ジャズとか特にパウエルの芸術が厳しいから単なる趣味ではないなどというのもいわれるまでもなく当然のことです。

私が『ザ・シーン・チェンジズ』やその『クレオパトラの夢』を好むのに理論的理由は何もないとわざわざ断ったのも、客観的にいえばもっといい演奏が幾らでもあるのは自明だからです。けれども、私も疲れていますし、毎日毎日『ウン・ポコ・ロコ』ばかり聴くわけにもいかないでしょう。たまには『クレオパトラの夢』でも聴いてみようかと思っても当然です。それだけのことですし、批評家から否定されてしまうような話でもありません。

それはセシル・テイラーばかり毎日聴くと疲れるからもっとリラックスできるジャズも聴いてみる、というようなことと同じです。

Bud Powell "The Essen Jazz Festival Concert". Bud Powell (piano), Oscer Pettiford (bass), Kenny Clarke (drums) with Coleman Hawkins (tenor saxophone) on title 6 - 9 only. Recorded By Bigos for Ole Vestergaard Jensen at the Grugahalle, Essen, West Germany, 2nd April 1960. (1) Shaw Nuff, (2) Blues In The Closet, (3) Willow Weep For Me, (4) John's Abbery, (5) Salt Peanuts, (6) All The Things You Are, (7) Just You, Just Me, (8) Yesterdays, (9) Stuffy.

私が腹を立てるのは、私が、職業演奏家、職業批評家・研究者、ジャズ喫茶経営者などでないから、パウエルを理解していない、彼の芸術の「厳しさ」がわかっていないとかいう話になるからですが、そういうことではありません。ジャズで生計を立てていようといまいとそういうことには関係がなく、私がテイタム、ピーターソン、パウエル、モンク、エヴァンスを全部聴いて研究しているのは、ピアノの可能性を中心に考えてきたのですから当然のことです。ジャズについて重要なことが分かっていないだとか、もっと先へ進まなければならないなどと叱り付けられるというような話ではありません。

私は前も書いたように、後藤さんやcom-postが大西順子の全部とか或いはその『バロック』を簡単に否定してしまうようなこともつまらないと思っています。私は大西順子も全部聴いて検討しましたが、どうみてもそれを全否定してその意義を少しも認めない後藤さん達のほうがおかしいです。それに余りこういうことはいいたくありませんが、自分は少しも楽器ができるわけでもないのに、他人の創造を否定することにだけ熱心であるというような人々に私が懐疑的になるのも当たり前です。

私が他人を遮断して孤独に暮らしているとしても、インターネットをやっているというだけで、そういう不愉快な体験をしてしまうというのももうどうしようもありません。

大西順子が後藤さんの批評を読んで腹を立てたのは、後藤さんが彼女の師匠であるジャッキー・バイアードにまで遡って否定するというようなことをやったからですが、どうしてそういうことをしてもいいと思えるのかわけが分かりません。私は大西順子が怒ったのは当然だと思います。自分自身が何も創造できない人々から揚げ足を取られたり全否定されるのは誰でもいやですし、それもデビューしてから現在に至るまで何十年も否定され続けるなどということが不愉快であるというのは当然です。

大西順子はこういう批評家連中のところにレコード会社から自分のCDがただで配られてしまうくらいだったら、お金のない普通の聴衆にむしろ配りたいと書いていましたが、彼女がそういうことをいうのも当たり前です。

大西順子の意見は以下です。ちなみに彼女はTwitterをやめましたので、この私のブログにしか残っていません。http://d.hatena.ne.jp/femmelets/20101011#1286801519

大西順子の意見:「それにしても、こう批判ばかりされたらもうナニも作りたくなくなる。しかも明らかに見当違いの。ってか批判する人達にもサンプル盤ただで渡す必要あるのか。どうしても気に入らないなら「すみません、今回は書きません」とかそういうの、ないの?」

「J.ByardをB級扱いした記事書いた人いたけど、本物を間近で見たことないんだろうなあ。指が速く動いたらピアノうまい、ぐらいの感覚しかないんだろうなあ。そんな人がプロ(?)と称して批評書いて。。恥ずかしくないのか。」

「批評家じゃなくて批判家という職種ないの?」

「まあね。ただこんな奴らにサンプルが出回るのが我満ならん。あれだってタダじゃない。それならTSUTAYAで借りてる子たちにあげたいよ。RT @jujuinoueエネルギッシュな人生を送れないし知りもしない人種の批判の言葉に耳を貸すなんて。RT @junko作りたくなくなる。」

「今朝からの怒りは冷めましたがもう一つだけ。どんな駄作にもそれ相応の苦労がある。レビュワーさんはそれを受け止めた上で何だかんだ書くのが仕事だと思ってるけど「作品が長い、これを聞かせられるこっちの身にもなってみろ」、というキレ方するのなら、その職業を辞めて頂きたい。」

「J.ByardをB級扱いした記事」とは、多分これではないか、と思う。
http://com-post.jp/index.php?itemid=489

後藤雅洋さんの意見:「『ジャズ・ライフ』のインタビューで彼女はジャッキー・バイアードが好きだと言うようなことを語っていたが、それを読んで腑に落ちたことがある。バイアードは実に器用でなんでも出来てしまうが、彼ならではの個性というと私などはいささか首を傾げてしまう。いったい彼女はバイアードのどこに惹かれたのだろう。テクニックはあっても、個性が借り物みたいに聴こえてしまうのはバイアード譲りなんじゃなかろうか。」

これもそうかもしれない。
http://com-post.jp/index.php?itemid=490

私はcom-postのようなくだらないものに大西順子が腹を立てても実に当然だと思います。長い間いーぐる掲示板を離れていたのも彼らの『バロック』否定が残酷で傲慢だったからです。

それに哲学の立場からいえば、com-postの「往復書簡」が「メルロ=ポンティ」「フーコー」「ソシュール」などについて意味不明な議論をやってしまい、わけのわからぬ迷走を続けた挙句もう何年間も沈黙し、何の有意義な結論も導けないとかいうこともわけがわかりません。

私があれこれ指摘、提言をしましたが、後藤さんは彼やmiyaさんが書いたことを撤回したり再吟味するのではなく、今度は「ウィトゲンシュタイン」に飛びついてみるのだというような話ですから、哲学や言語学その他を何だと思っているのか、と疑問を感じても当然です。

私は、確かだと思える結論に到達したら、com-postのようなweb-siteで公表したらよかったのに、と思いますが、彼らの意見は「書きながら考える」ということでしたから、収拾がつかなくなってしまいました。

ソシュールにしても、(1) ソシュールの死後弟子達が講義録を編集・出版したがその編集が妥当かどうか、(2) 言語学者の小林英夫の『一般言語学講義』の邦訳が適切かどうか、(3) 丸山圭三郎自身はソシュールの「原資料」にあたったのだとしても、丸山の著書の解釈だけを信じてソシュールを論じてもいいのか、(4) 前田英樹ソシュールの講義録の一部を訳しているがそれは本当にごく一部だからそれだけではソシュールの考えは窺えないのではないのか、というようなことを考えるのが当然ですが、でも彼らは少しも考えませんでした。

それにソシュールは後の構造主義者連中と違いますから、自分の言語学民族学精神分析学などの人間諸科学を幾らでも基礎づけることができるなどと考えただろうとは思えません。ましてやジャズ批評や音楽美学には関係がない話です。レヴィ=ストロースラカンソシュールを読みましたが(ラカンソシュールを勝手に書き換えましたが)、フーコーデリダはともかく、ドゥルーズガタリソシュールを丁寧に検討した形跡は少しも見当たりません。「シニフィアン」を批判してやまない彼らがソシュールをまともに読んでいないのは実に不思議ですが、それはただ単に、構造主義者が言語学を勝手に拡張してしまったのが不愉快だったからです。でもそういうことなら、ソシュール言語学が妥当かどうかということとは全く関係ない話です。

後藤さん、miyaさんが、彼らの持ち出したメルロ=ポンティフーコーソシュールを巡る議論、諸問題が片付いていないのに、今度はウィトゲンシュタインに手を出すというのも全く理解できません。テキストをまともに読む姿勢がないならどんな著者、どんな理論を使っても結局同じことになるのではないでしょうか。つまり、結論を導くことができないのではないでしょうか。