近況アップデート

おはようございます。森山威男『ア・ライヴ・シュプリーム』を聴いています。

ア・ライヴ・シュプリーム

ア・ライヴ・シュプリーム

関本さんや松原さんを称賛しましたが、心優しいのが本当にいいのかどうか分かりません。残酷であるよりは心優しいほうがいいのかもしれませんが、でも、関本さんは不正高額取引が「不正」であるということすらいうことができません。そういうことは彼にとっては残酷なのです。でも、熱心にQをやっている彼が、そのQにおける不正を不正といえないというようなことでいいのでしょうか。松原さんは、NAMに全く意味がなかった、くだらなかった、という現実を認めることができません。それはただ単にどうしようもなく絶望的に現実認識能力が欠如しているというだけのことなのではないでしょうか。もし私がいうことがそうではないというならば、松原さんには具体的な証拠や根拠を挙げて説得的に反論していただきたいものですが、そういうことができるはずもないでしょう。松原さんは、柄谷行人はひどかったがNAMはよかった、とでも思っているかもしれませんが、とんでもない間違いです。

坂田明『ひまわり』を聴いています。

ひまわり

ひまわり

(1) 倉数さんが怒るのをみたことが3回ある。(2) NAMは9.11に対応できなかった。以上の点を考えてみましょう。

9.11の後、杉原さん達の京都事務局は、「反戦全体会議」というNAMの全ての会員が参加するメーリングリストを作って対応しましたが、結論からいえばひどいことになってしまいました。

南(ひ)さん(彼は大学の先生です)とか内田さんとかいったと思いますが、「妄想人」を自称する人々が現われて、反戦と何の関係もない妄想でMLを埋め尽くしました。具体的にいえば、人口子宮を作って女性を子宮から解放するとか、クローン人間を作るなどといったことです。

当たり前ですが、そういうことにみんな困惑しました。事務局の過去ログを読みましたが、事務局の人々も困っていました。けれども、誰にもどうすることもできませんでした。それがいいのかどうか知りませんが、とにもかくにもNAMは自由な人々が自由意思で入るというだけでしたので、変なことを言い続ける人々がいても、たとえ事務局でさえ、暴力的に排除してしまうことはできなかったのです。

倉数さんが怒ってしまった1回目というのはこのときですが、彼は、女性を子宮から解放する前に我々をあなたの妄想から解放してほしいといいました。当然だと思いますが、それでも「妄想人」連中の乱暴狼藉は止まらず、「反戦全体会議」が崩壊したのももうどうしようもなかったと思います。

Qプロジェクトの宮地さんがNAMをやめてしまった、正確にいえば賛助会員になったのもそのせいです。彼は、当時事務局長であった杉原さんに、このようなメールを読み続けるのは苦痛だからやめさせてもらいたい、と頼み、杉原さんのほうも仕方がないと思って受け入れました。

倉数さんが怒った2回目を話す前に南(ひ)さんのことをいいますが、彼はどこからどうみても妄想としかいえない意味不明なメールを理論と称して大量に送付し続けました。しかもそのような彼の根拠はドゥルーズだというのですから、全くわけが分かりません。私には合理的、論理的に考えたり書くことが全くできない彼がどうして大学で教えていられるのか理解できません。彼の学生連中には彼のいうことが理解できるのでしょうか。

そのような南(ひ)さんでしたが、NAMで具体的なことをやろうとしたことがただ一度だけありました。彼は少し、不動産だか土地だかの物件を持っていて、それをNAMで活用できないかと相談してきました。だからみんなで彼に会いに行って話し合いましたが、結局彼はその提案を取り下げてしまいました。NAMが学生サークルみたいだから信用できないというのが理由です。彼がそう考えたのも仕方がなかったし妥当だったかもしれませんが、でもそうならば、社会的起業に取り組む運動団体などNAM以外に無数にあったはずですから、自分が信用、信頼できるところに行けばよかったというだけです。

さて、倉数さんが腹を立てた2回目というのは、Tokyo Qool Cafeのメーリングリストでした。石井和良(石井KAZU)さんという方がいて、彼は元々NAMでしたが、柄谷さんが権威主義的であるとか、NAM会員が柄谷さんに従属しているといったことが不愉快でやめました。やめましたが、Tokyo Qool Cafeというイヴェントには協力してくれました。けれども、そのTokyo Qool Cafeのメーリングリストで、石井さんは、「柄谷行人は不要です」という発言を執拗に繰り返したのです。

確かに地域通貨をやるのに柄谷さんは必要なかったのかもしれませんが、でもその当時、柄谷さんは別に何の問題も起こしていませんでした。ですから、柄谷行人は不要であると繰り返したのは、石井さんの個人的なこだわり以外ではありません。倉数さんは、石井さんの投稿を読みたくないといってTokyo Qool Cafeのメーリングリストをやめてしまいました。

『倫理21』を読んで感銘を受けてNAMに夫婦で入ってきた大和田さんという非常に善良な人がいました。彼は元々メルロ=ポンティの研究者でしたが、その後散々苦労してきた人です。アフリカにも長いこといたはずです。当時学校にボイラーを設置するというような仕事をやっていたと思います。その大和田さんが、石井さんを、「NAM ML審査委員会」に突然告訴してしまいました。暴力的な発言であり、誹謗中傷であるというのが理由です。私は驚きました。驚きましたが、石井さんは既にNAMを退会しているからNAMが審査したり裁くことはできない、と説明しました。

大和田さんがそういうしょうもないことをやってしまったのも、まさに彼が「善良」であったからでしょう。多くの善良な人々、心優しい人々を長い間観察して、私は、善良であるというのは無力であるということだ、という結論に到達しました。例えば、大和田さんはNAM末期の柄谷行人の乱暴狼藉に接して、「恍惚の独裁者」だと思っていたそうです。けれども、彼はずっと黙っていたし、そしてそれだけでした。

その大和田さんの奥さんにも何度もお会いしましたが、非常に善良で優しい女性でした。彼女も何かの研究者だったはずですが、彼女が何を研究していたのか忘れてしまいました。彼女は岡崎さんのRAMに入って、松下さんなど他の女性達ととても楽しげに会話していたことが懐かしく思い出されます。彼女達の話というのは私には理解できませんでしたが、家事とか裁縫といった、別に政治とは関係がないのだとしても、心温まるようなほのぼのとした話題であったように記憶しています。その松下さんという女性は、そもそもNAM芸術から出発した人で、埴谷雄高やシュルレアリズムが大好きな人でしたが、とにかく「愛」が大事なのだと執拗に主張し続けていましたが、私にはわけが分かりません。松下さんは小説を書いて倉数さんに見せましたが、倉数さんは快く思わなかったようです。そうしますと、松下さんは倉数さんその他を(幸い私は含まれていませんでしたが)セクハラであるとかいって蛭田さんに告訴してしまいました。客観的にいってそういう事実は全くなかったと思います。彼女は自分の小説が否定されたからそういうことを言い出しただけです。

大和田さんの奥さんが若い頃研究していたのは哲学ではなく文学だったような気もしますが、はっきりとした記憶がありません。もしかしたらボーヴォワールだったかもしれませんが、そうではなかったかもしれません。NAMが解散した後彼女は、「倫理」とかいわずにごく普通に家庭生活を楽しんでいると聞いています。彼女は運動と関係がなくなってしまったことを少し恥ずかしがっていたようですが、私は、そういうことを恥ずかしがる必要はないと思います。彼女がNAMで悪を一切為さなかったということだけは事実です。それだけでもいいと思います。

ずっと地道に障害児教育をやっている柳原さんの奥さんとか、大和田さんの奥さんとか、小難しいことは決していいませんが、ただひたすら善良であるというような人々がNAMには大量にいましたが、そういう人々の存在は非常に貴重であったと思います。私は千葉県民ですから、NAM大阪、NAM関西がどうだったのか全く知りませんが、杉原さんが、NAMで出会った人々は自分がこれまで左翼運動でよく知っているような人々とは全然違っていた、明るく純真で眼が輝いていた、と幸せそうに語っていたことが懐かしく思い出されます。事実そうだったのでしょう。NAM東京でも同じだったと思います。

柳原さんの奥さんは非常に善良でした。西部さんがNAMをやめてしまったとき、彼女は、NAMはやめてしまうことができるようなものではないはずなのに、と残念がっていましたが、恐らく彼女がいいたかったのは、彼女にとってNAMは放棄することのできない理念、倫理なのだというようなことだったのでしょう。そしてそのNAMが崩壊してしまったとき、彼女は、どうしてこういうことになってしまったのか全く分からない、といっていましたが、そういうこともどうしようもなかったのでしょう。

王寺さんという当時パリ在住の哲学者が、「ジェンダーセクシュアリティ」のメーリングリストに、NAMに女性会員が少ないのはどういうことだ、などと文句をいってきて、私はひどく腹を立てました。彼がいいたかったのは、NAMが観念的だから女性が入らないのだ、というようなことだったのでしょうが、NAMに入るのを女性達に強制してしまうことなどできません。それにそう思うなら、彼自らが知り合いの女性を勧誘すればよかっただけです。どうして我々に高みから偉そうに説教する権利が自分にはあるなどと傲慢なことが思えたのか私には理解できません。

その王寺さんは最初からLETSに疑問だったそうです。理由はLETSが「閉鎖系」だからということでしたが、当たり前ですがLETSはそのLETSの会員しか使えません。彼はそういうものが急速に拡大することなどないと考えましたが、でも、柄谷さんに個人メールでそういったというだけでした。王寺さんのような、Qが紛争でもうどうにもならなくなってから、実は自分は最初から疑問だったなどと言い出す人々の神経が分かりませんが、そういう人々は大量にいました。西部さんの理論に最初から疑問だったと後から言い出す浅輪剛博さんとか鈴木健太郎さんなどですが、私には彼らがなぜNAMに入ったのか理解できません。西部さんのいうことが100%正しいというつもりはありませんが、客観的にいって、彼がLETSのアイディアを導入しなければNAMが作られることもなかったはずです。その西部さんの理論にそもそも最初から反対であったなら、NAMやQに入るべきではなかったと思います。

now playing: Sonny Rollins "Saxophone Colossus".

サキソフォン・コロッサス

サキソフォン・コロッサス