近況アップデート

cyubaki3という友人の掲示板に投稿しましたが、そのままコピペするのははばかられますので、丁寧に書き直します。こういうことです。NAM以降、柄谷さんが嫌いになってしまいました。人格と思想は別なのは分かりますが、それでも嫌いなものは嫌いです。彼は、9.11のとき、周りのNAMの人々が狼狽しているのに、彼一人延々と無意味に数学の話をMLに投稿し続けていました。何の文脈もないし、わけが分かりませんでした。それらの投稿を読んだ人が私に、この人は病気なんじゃないか、といいましたが、私もそう思います。

松原克彰さんが、西部忠さんはNAMはくだらないなどといっていないから、私の投稿が事実無根の誹謗中傷であり、謝罪文を書けなどといっています。松原さんが間違っています。だから、撤回も謝罪もいたしません。

西部さんが、正確な表現で言いますと、NAMなんてしょせんその程度のものだったんだよ、と書いたのは、Qの議論用MLで、杉原正浩さんへの反批判においてです。西部さんも杉原さんも、私としてはそういうものは少しも読みたくないのに、お節介、自分勝手に私にそのメールを送り付けてきました。お前もこれで納得しろ、分かれ、とでもいうような意図だったのでしょう。

そういう経緯でQをやめた私ですら知っていることを、現在もQ管理運営委員会に在籍している松原さんが知らないなどということはあり得ませんし、端的に変です。松原さんはQの議論用MLをちゃんと読んでいないのでしょうか。西部さんによる杉原さんへの反論は、松原さんのようなQの人々にとっても非常に重要であるはずです。

もちろん私の書くことは残酷ですから、松原さんが読みたくないと感じても自由でしょう。でもそれなら、はっきりいいますが、リムーブすればいいのです。私は事実と異なるくだらない言い掛かりをつけて「謝罪文」などを要求するような松原さんのような人間と「友達」でいるつもりは少しもありません。

私自身は、非常に不愉快ですから、杉原さんのメールも西部さんのメールも全部捨てました。だからもし必要があるならば、現在もQ管理運営委員である松原さん、あなた自らがそれらのメールをQのweb-siteにでもアップすべきです。Qをやめた私の知ったことではないし、松原さんが西部さんの「知人」だなどということは何の関係もありません。

杉原さんと西部さんのやりとりというのはこういうことです。正確に西暦何年の何月のことか確かめることができませんが、或るとき、突然、杉原さんに啓示のような瞬間があり、彼はLETSが経済学的にいえば無意味であることが「論証」できてしまうと信じてしまいました。どうして彼がそういうことになってしまったのかは、私にはわけが分かりません。でも、そういう理由で、彼は、自分の考えをQの議論用MLに投稿しましたが、西部さんから逐条的に反批判されてしまい、それ以上何もいえずにそのままQをやめました。

私は経済学の専門家ではないし、経済学の理論に興味もありません。ですから、杉原さんの批判と西部さんの反批判のいずれが妥当なのか確信をもって判断するというようなことはできません。けれどもそれは、松原さん、あなたにとっては非常に重要なことなのではないでしょうか。あなたは今でもQを続けているのですから。

松原さんは私にこれ以上関わるべきではありません。それにもし、あなたがこれ以上あれこれいってくるのであれば、即座にブロックします。

yukieさんやコーヒーと夕方さんに苛酷であったのと同じように松原さんにも分け隔てなく苛酷であるというだけのことです。私には松原さんの発想が全く理解できません。松原さんはNAMに少しでも意味などあったと思っているのでしょうか。それは松原さんがそう思いたいだけなのではないでしょうか。そういう個人的なことで、私に事実と違うことをあれこれいって困らせたり苦しめたりするというようなことは非常に迷惑です。私は、前もいいましたが、誰であれ無礼な人には容赦がないのです。例外は一つもありません。

私には十年前のことだけでなく、今現在の松原さんのような無礼な人も問題です。私はそのような人々に寛容になることは絶対にできません。どうして事実と違うことを言い立てて他人に謝罪を要求するような傲慢なことができてしまうのでしょうか。その神経が分かりません。

私を「狂犬」であるというような人々が数多くいますが、その通りなのでしょう。でも、噛み付かれるのがいやなら、無礼なことや、事実と違うしょうもないことをわざわざ私に言ってくるべきではありません。私は必ず報復します。少しも寛容ではないのです。

それに私のいうことに文句があるなら、私信やチャットでいうのではなく、私のウォールにコメントしたり、松原さん自身のウォールに投稿したりして公開的にやるべきです。蔭でこそこそ私に圧力を掛けて謝罪文を書かせようなどというような松原さんのやり口は非常に卑劣で傲慢です。私はそんな人を許しません。

私を批判するなとはいいません。けれどももしそうするならば、徹底的にやり返されることを承知しておいていただかなければ困ります。後になって傷付いたとかいわれても、そういうことは私の知ったことではありません。

私は昨日「その通り地獄なのだ」といったはずです。別に十年前のことについて地獄であるというだけではありません。今現在がそうなのです。松原さんにはそういうことが少しも分かりません。

私はどうしてナマケモノ倶楽部に入ろうとしないのでしょうか。昨日申し上げた通り、体調が非常に良くないから、外に出掛けることもメーリングリストを読むこともできないからです。しかし、それだけではありません。自分のことをよく承知しているからです。ナマケモノ倶楽部の心優しい人々に私のような残酷な人間が混じって、一体どうなるというのでしょうか。私には分かりません。

若い頃に残酷であっても、歳を取るとそうではなくなる、円くなり優しくなる人々が多くいます。けれども、私はそうではありません。何歳になろうといつまでも苛酷です。それはどういうことでしょうか。通常、人は、或る境界線を越えることができます。そのようにしなければ、生きていくということがそもそもできないからです。しかし、私はその境界性を越えることが遂になかったということです。ですから、生物学的な実年齢とは関わりなく、私はいつまでも(多分死ぬまでずっと)幼稚なままなのです。幼稚ということは、残酷ということです。

倉数さんのような人は、しょうもない小説を書いて彼に見せにくるような人々(NAMにもそういう人々がいました)に対しては苛酷であったし厳しかったと思います。でも彼は大人ですから、いつでも誰に対しても残酷であるというわけではありません。それが普通です。内心軽蔑していたり反感を持っても、それをあからさまに公言するということはほとんどしません。繰り返しになりますが、そのような倉数さんのほうが普通なのです。そうならなければ、生きていけません。

南条あやとかジルベールコクトーにしても、彼らなりの或る境界線や限界をどうしても越えることができませんでしたから、彼らにはその後の人生とか未来などがなく、自滅的に死んでしまうよりほかありませんでした。

他方、橋本治が造型した木川田くんや橋本治自身は、その境界線を乗り越えるということができたのでしょう。ですから、彼らは本来あるはずもなかったその後の人生とかいうものを獲得することができました。

私は5月でもう37歳になってしまいます。しょうもない中年なのです。しかし、その年齢に相応しいものを何一つ獲得することができませんでした。けれどもそれは致し方がないし、ただそれだけのことなのです。

私がよく知っていたNAMの人々にしても、十年前は若かったのだとしても、2012年の現在はすっかり大人になりました。かつての彼らとは全く別人のようになってしまいました。そうならなければ生きていくということができないのですから、それは当然のことです。

橋本治は「ソドムのスーパーマーケット」(『秘本世界生玉子』)で実に絶望的なことを書いていました。彼自身の経験から書いているとしても、私は「真の意味がある人間」とかいうヒューマンなものが存在するとは思いませんし、そのようなことを執拗に言い続けても意味がないだろうと思います。その考えは変わりません。けれども、重要なのは、橋本治がそのような若い頃の認識に留まっていたわけではないということです。もしそうであったならば、恐らく彼は生き延びることができなかったでしょう。もしかしたら不条理なことであったり端的に間違いであるようなことかもしれませんが、何らかのことを信じることによって、彼はその後の人生を生き延びるというようなことができました。具体的にいえば、『桃尻娘』シリーズを十年以上書き続けて変わったと思います。彼は木川田くんに未来やその後の人生を与えるつもりが少しもありませんでした。けれども、書いていくうちに、そういう話になりました。

話は戻りますが、恐らく柄谷さんは、9.11直後にはその出来事の世界史的な意味が把握できなかったのではないだろうか、と思います。だから、当時、右往左往せず自分の『トランスクリティーク』を読め、などといってしまい、小倉さんを怒らせてしまいました。けれども、NAM解散後、何度か文芸誌でNAM失敗の原因を挙げていますが、一度「9.11に対応し切れなかった」ことを挙げていたように記憶しています。柄谷さんがそう考えるようになったとすれば、私は妥当だと思います。

NAMの原理には問題や欠陥が多々あったでしょうが、私が思うにはその最大のものは、general boycottで帝国主義戦争を抑止できるという主張であったと思います。NAMの学習会でも、太田出版の落合さんが講師の山城さんに、そんなことがあるんですかね? と無邪気に質問をし、山城さんが「それは…」とか絶句して答えられなかったということがありました。その後、現実に戦争になってしまいましたから、NAMが少しも戦争を止められないということが現実によって証明されてしまいました。

general boycottとかいっても、現実には、全ての労働者が労働だけは真面目にするが、消費や購買を一切しない、などということはあり得るはずがありません。どう考えても不可能だとしか言いようがありません。

general boycottとかいっても、普通のboycottではなく、"general" boycottなどを想定してしまったというところに、NAMの全ての発想に共通する或る特定の傾向が感じられます。つまり、一般化され全面化しなければ意味がないようなことを考えていた、というようなことです。LETSも同じで、あたかもLETSが全面化したような世界を想定していたけれども、現実にはそういうことがあるはずがないということも先日指摘しました。このような数々の発想の根底にある何かを分析すれば、NAMの誤謬とはどういうことかというのも少し理解できるような気もします。

例えば西部さんにしても、彼がNAMでいっていたようなことと、彼自身の著書『地域通貨を知ろう』(岩波ブックレット)で書いていたようなことは全然違います。後者は、普通に地道にこつこつ地域通貨をやってみようというような話ですが、「国家と資本を揚棄する」とかいうことよりも、そういうことのほうが西部さんには合っていたのではないでしょうか。何しろ西部さんは何度も私のことを誇大妄想と非難したくらいなので、恐らく誇大妄想が嫌いなのでしょうから。でもそうであるならば、先日言及したような『LETS論』の議論はちょっと変だと思います。岩波ブックレットでは地道で常識的なことを書いたが、『批評空間』誌にはちょっとアクロバティックなあり得ないようなことを書いてみた、というだけのことなのでしょうか。

西部さんは私に反駁して、君が考えるような知識人と大衆というような問題ではないのだ、といいましたが、それは妥当なのでしょうが、けれども私はNAMに入っていた知識的な人々のありようにはどうしても不信の念を抱いてしまいます。どう考えてもNAMが現実に知識人主導の運動であったことは間違いないでしょうし、その指導的な知識人の間で深刻な対立が生じた結果潰れてしまったのは明らかだからです。もちろん知識人だけが問題ではありませんが、柄谷さんと西部さんが決裂してしまったということが決定的でした。一部の人々は、問題は彼らの個人的な喧嘩というだけなのだ、と言い続けていましたが、状況が決定的に悪くなってしまい、そういうこともいっていられなくなってしまいました。しかしよく考えてみれば、主要な二人の知識人が争えば終わってしまうような組織が一体何なのか、というふうに考えてみることもできます。

少数の人々は柄谷さんにも西部さんにも遠慮せず公平な立場で「監査」をしようと努力をしていましたが、けれども最終的にそういう人々も挫折してしまい、柄谷さんに力づくで屈服させられてしまう光景を眺めることしかできないというのは、実に残念な経験でした。

ちょっと名誉毀損になってしまいますから、名前は挙げられませんが、そのように頑張っていた人々の一人が突然態度を豹変させ、実はQなどなくても自分は少しも困らない(でもそんなことなら誰だってそうだし当たり前です)、西部さんから依頼されて原稿を書いたが失敗したと後悔している、柄谷さんの批評(トランスクリティーク)は誰にも真似はできないが素晴らしい、などと言い出して柄谷さんに従属してしまったのを目撃してしまったのは、漠然と口惜しいと感じるというしかないようなことでした。先日『こころ』を引き合いに出して、NAMの人々が突然変貌してしまったのに驚いた、といいましたが、そのようなこともその一例です。でも、その人だけではなかったのです。そういう人々は大量にいましたし、それにそのようにいう私自身も全くしょうもなかったのです。屈服しなかったのは森谷さんという人だけです。

私が腹を立てるのは、その人がそういうこと、つまり西部さんの人格誹謗のようなことを書くのが西部さん本人が読むことがあり得ないNAMの評議会のような場所であったということです。それは少しもフェアではないし、もっといえば卑劣なのではないのか、と感じました。なぜなら、それまでその人は、いかに自分が西部さんに対しても公平であるかというようなことを誇っていたのですから。

『こころ』がいうような金銭と恋愛以外に人間を醜く動かしてしまうものはといえば、通俗的な物言いになってしまいますが、権力欲とか名誉欲なのでしょうか。誰でも自分が馬鹿だとは思いたくないし、柄谷さんその人のように自分も頭が良いのだと思い込みたいので、そういう理由でNAMの評議員の人々は全員柄谷さんに従属したと思います。正確にいえば全員ではありません。従属しなかった人々も少しいましたが、でも彼らは単に黙ってしまいました。

そうはいっても、評議員の人々は基本的には常識人ですから、みんなそれぞれに『Qは終わった』に疑問を述べました。(1) 『Qは終わった』は西部忠さんへの名誉毀損を構成してしまうのではないか(菅原正樹=鈴木正樹さん)、(2) 『Qは終わった』には理論的内容が皆無ではないか(杉原正浩さん)、(3) 『Qは終わった』は柄谷さんが西部さんとの絶縁を高らかに宣言しているというだけの文書である(王寺賢太さん──正確にいえば、彼は評議員ではありませんでしたが)とかです。けれども、柄谷さんという人には常識が通用しませんし、柄谷さん自身常識的に判断するということができない人ですので、上記のような異論や疑問に「馬鹿が判断することではない」などと恫喝して黙らせてしまいました。

でも現実をいえば、『Qは終わった』は本当に西部さんへの名誉毀損であったのではないでしょうか。西部さんはそういうことをする人ではありませんでしたが、もし西部さんが訴えていたら、裁判で負けた可能性があると思います。でも、柄谷さんはそのようなことを気遣う余裕が全くなかったのでしょう。

さて、深夜なので、このくらいで。お休みなさい。良い夢を。