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もともと「見者」と言い出したのはランボーです。彼は自分の言葉の錬金術で感覚を錯乱させて楽しみましたが(20世紀以降の経験では麻薬を考えれば妥当だと思います)、その結果自分自身が「架空のオペラ」になってしまい、詩作を放棄しなければならなくなりました。別に彼は狂気ではありません。むしろ非常に正気です。正気であるが故に筆を折らなければならなかったというような人をランボー以外に知りません。

そのランボーが不思議なことをいっています。彼には自分の詩の言葉の響き、つまりフランス語の母音や子音の響きが特定の色彩として、視覚的なイメージとして見えたのです。一般に共感覚といわれる現象です。

常識(コモンセンス)というのはもともと共通感覚ということですが、共通感覚というのはどういうことでしょうか。普通視覚は視覚として、聴覚は聴覚としてあると考えられますが、五官に共通の根のようなものを想定するとしますと、それが共通感覚です。そのような考えはアリストテレスにまで遡るといわれますが、具体的にアリストテレスのどの著作のどの部分に書いてあるかまで知りません。中村雄二郎に『共通感覚論』という本がありますが、何しろ大昔に読んだので、忘れてしまいました。