近況アップデート

私が記憶しているのはなにも死者ばかりではありません。いつのまにかインターネットの世界からweb-siteごと消滅してしまった「天然ニューハーフはるるん」のことを覚えています。でもそれも10年前20年前の話です。私には現在や未来といった次元がありませんので、必然的に眼差しは過去、それも遠い過去に向かいます。はるるんのweb-siteは消滅しましたので、物質としての彼女の言葉も消滅してしまいましたが、しかし私の内部で存続しています。そのことをドゥルーズガタリはex-sisterとは区別されるin-sisterまたはsub-sisterと考えました。従来「実存的」などといわれていたものがex-sisterに対応すると考えるならば誤りです。ドゥルーズガタリにとっては、in-sisterやsub-sisterといった次元、そうした存在論的ステータスのほうが重要でした。日本語への翻訳者も苦労しています。「内に-立つ」とか「下に-立つ」などと訳しています。

私を困らせているのはごくつまらないことです。パソコンの動作が遅いとかです。CDを探していると考え事を始めてしまい、気付けば朝になっていたりします。時間感覚がありません。自分では5分のつもりが3時間経っていたりします。

家族や恋人と意思を疎通するというようなことも全くできません。彼氏は私と有意味な会話ができないのを退屈に感じています。けれども面白い話をすることなどできません。つまらないことにしか興味がないのです。ex-sisterとin-sisterはどう違うかとかです。

主治医は月に5分しか会話しないのでなおさら不可解です。彼はバイトを探すくらいなら死ぬという私が奇妙だと考えています。

私は生存は苦痛であり、軽減する手段も特にないということくらいしか考えません。音楽を聴こうと本を読もうとセックスをしようと、全く何も無効で無意味です。

いわゆる人間的な事柄には興味がないし、そういうことに関わるのは耐えがたいほど苦痛だと感じます。

私は一日中自分の呼吸の様子を観察しているだけです。

生存が苦痛であるという揺るぎのない信念を持っている私の世界が暗いのは致し方がないことです。

私は哲学を多少齧ったかもしれませんが、文学を知らないので、自分を正確に説明したり描写したりすることはできません。

自分自身の経験が哲学書に書いてあるような説明とは食い違うというのは当たり前のことです。

最も正確であろうと思える言い方を探せば、意味を形成できないということです。話し言葉であれ書き言葉であれ、他者に到達する前に自ら崩壊してしまうのを止めることができない、というようなことになります。

もう少しましな(正確な)表現があるかもしれませんが、私には分かりません。

そもそもyukieさんを罵倒して絶交してしまったのも、彼女が親より先に死ぬのはよくないといったからです。ただそれだけのことです。実にくだらないことなのです。

私はTwitterもやめたしUstareamのチャットも閉鎖してしまいました。意味があると思わなくなったからです。

私は瑣末な文献的な確認をすることにしか興味関心がないし、それ以外のことは何もできません。他人と話をするというようなこともできません。

たまに他人と会話しても、例えば倉数さんと会話しても、絶望感を感じるだけです。共通の話題が何もないからです。私は哲学や音楽のオタク的な細かい話にしか全く興味関心がないのです。それ以外は全くどうでもいいのです。

この20年間の経験はもともと偏屈であった私をなおさら頑固にし、人間嫌いにさせただけでした。

私は1994年以降の経験が無意味であったと感じます。私が大学に進んだことを両親や高校の担任は喜びましたが、私自身にはどうでもいいことでした。ただ単に大学に進んだから自分なりに真面目にやってみたというだけのことです。それは私には苦痛でした。例えばフランス語の単語を覚えたり文法の勉強をするのがいやでした。けれども両親にしても、私の大学生活のことを何も知らなかったし今も知りません。ただ学歴は名誉であるというようなくだらない考えしかないのです。

多くの人は20年も時間があれば少しは学びますが、私は少しも学びませんでした。むしろ子供のときよりも一層偏屈になり他人や社会を嫌うようになっただけでした。

昨日書いたような、無意識的に唇が動く現象というのは、実は私自身の経験なのです。パソコンに向かってものを書いていないときでも私は常に考えており(それがどうしようもなくくだらないことだったとしても)余り熱心に考えるので無意識的に唇が動きます。そのことに親が気付くのでいつも喋っている、喋っていると指摘されるというようなしょうもないようなことなのです。

私は自分が文章がうまいと少しも思いませんが、しかし、考えをどのように言葉、文章にするかということを集中して考えています。そうしますと、いつのまにか5時間くらい平気で経過してしまいます。気付くと一日が終わっていたり、朝になっていたりするのです。

私には政治や社会に関わることはできませんが、それだけではなく、ただ単に日常生活を送るといったことも困難で無理です。他人と会話したり伝達することも不可能です。そういったことは全く何もできません。他人は私が興味があることに興味がないし、私は他人が興味があること、例えば反原発とかパンクロックなどに一切の興味関心がありません。それはもうどうしようもないような絶望的なことです。

私は他人と関わるのをやめひきこもることにしましたが、選択の余地はありませんでした。バイトに行けば迷惑、お荷物といわれ、運動もできず、要するに何もできません。そのうちに都内まで出掛けること自体が不可能になってしまいました。