近況アップデート

どこか引用できるところがないかと思ってトーマス・マンの『ヴェニスに死す』(高橋義孝訳、新潮文庫)を精読してみましたが、全く何もありませんでした。事実関係だけ確認しておけば、この小説は1911-1912年に書かれ、1912年夏に出版されています。邦訳が正確に何年であったか分かりませんが、新潮文庫は「昭和42年9月25日発行」となっていますから、それが初版なのでしょう。昭和42年ということは西暦では1967年でしょうか。

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

ただ気になったくだりがありました。老作家アシェンバハは少年タドゥツィオが長生きできないと考えます。そして「満足ないしは安堵の気持」を覚えますが、その心理が分かりません。読者に理解できないというだけではなく、アシェンバハ自身にも理解できません。そういう箇所が2箇所あります。

「美は人をはにかみ屋にする、とアシェンバハは考えた。そしてなぜであるかを徹底的に考えてみた。しかしタドゥツィオの歯があまりよくないのも見てとった。先がぎざぎざして、色が蒼白く、からだの丈夫な人間の歯が持っている光沢がなく、妙に脆そうな、萎黄病の人によく見かけるような透明な歯だった。ひよわく、病気がちなのだ、とアシェンバハは思った。どうも永生きしそうにはない。しかしアシェンバハは、そう考えた時に感じた満足ないしは安堵の気持の、拠ってきたるところを究めることは断念した。」(p.143-144.)

「タドゥツィオが時々のびをしたり、深い息をはいたりするのも、溜息や、胸の苦しさを示すもののように思いなされた。「病身なのだ。永生きはできまい」とアシェンバハは思った。陶酔と憧れとがときとすると奇妙に急転して生ずる、あの冷静さで。すると純粋の心づかいと、放埒な満足感とが同時に彼の心を満たした。」(p.184)

小説を読みますと、アシェンバハはプラトンの『パイドロス』のことばかり考えています。『パイドロス』からのかなり長い引用もあります。アシェンバハのヨーロッパ的な教養の範囲内では、プラトンくらいしか参照できるものがなかったのでしょう。

ヴェニスではコレラが流行っています。物語の最後にアシェンバハは死にますが、コレラなのか心臓発作など他の理由なのかははっきりとは分かりません。彼の死の模様は次のように描かれています。「ところが今、彼は少年の視線に応じ答えるように、頭を起した。と、頭は胸の上にがくりと垂れた。そこで目は下のほうから外を眺めているような具合だったが、彼の顔は、深い眠りの、ぐったりとした、昏々とわれを忘れている表情を示していた。けれども彼自身は、海の中にいる蒼白い愛らしい魂の導き手が自分にほほ笑みかけ、合図しているような気がした。少年が、腰から手を放しながら遠くのほうを指し示して、希望に溢れた、際限のない世界の中に漂い浮んでいるような気がした。すると、いつもと同じように、アシェンバハは立ち上がって、少年のあとを追おうとした。 / 椅子に倚って、わきに突っ伏して息の絶えた男を救いに人々が駆けつけたのは、それから数分後のことであった。そしてもうその日のうちに、アシェンバハの死が広く報道されて、人々は驚きつつも恭しくその死を悼んだ。」(p.202-203.)